ありがとうの物語

石村徹さん

石村徹さん(48歳) プロフィール

1965年東京都出身 オンライン情報処理技術者
大学院でコンピュータシステム開発の研究をし、卒業後、鉄鋼会社に入社。
約20年前に躁うつ病との診断を受け、9年後退社するも、
現在の旅行会社に就職。


近所のお店で、病気を支えてくれたお父さんと二人、お茶を飲む石村さん。

近所のお店で、支えてくれたお父さんと二人、お茶を飲む石村さん。

激務から発症するも、精神疾患への偏見から、受診を避けた日々

「発症するまでは、体の丈夫さに自信がありましたが……」と石村さん

「発症するまでは、体の丈夫さに自信がありましたが……」と石村さん

――躁うつ病が発症した頃、どのように過ごされていましたか。

大学院を卒業した1990年頃、大手鉄鋼会社にSEとして就職しました。社員寮から通勤していましたが、その頃は景気が非常に良く、毎日4時間しか寝ずに一週間仕事をするような激務です。慣れない顧客との関わりも多く、心身共にすり減らして働いていたんだと思います。

入社3年目くらいから、顧客と同僚につじつまの合わないことを言うなど、だんだん周囲から「少しおかしいよ?」と言われるようになりました。そのため、上司に受診を促されました。

最初は体の病気の検査をしましたが、問題は見当たりません。「もしかして心の病気?」と思ったのですが、精神病への偏見もありましたし、認めたくなくて……カウンセリングに半年ほど通いましたが、全く良くなりませんでした。

父の発病にショックを受け、自宅で一人きり昏倒

――躁うつ病は、状態を自覚して診断されるまでが難しいと言われていますが、石村さんが精神の疾患として受診しようと思ったのは、どのようなことがきっかけですか。

不安を抱えながら、社員寮から実家に引っ越した頃、父が狭心症の手術をすることになりました。頼りにしていた父がまさか病気になるなんてと、自分が背負わねばならないものがとてつもなく大きく感じ、ものすごいストレスがかかったんだと思います。自宅の和室で一人きりになった時、倒れこんでしまったのです。10分ほどでしたが、その時はっきりと「自分は精神の病気なんだ。このことに耐えられないんだ」と自覚し、「もうどうにでもなれ」と開き直って、受診を決意しました。

幸いなことに父の手術は成功して回復し、私が当時の会社の産業医を受診するのに付き添ってくれました。そこでやっと、躁うつ病だと診断されたのです。

人を厳しく批判してしまう躁状態と、足がすくんで出勤できないうつ状態

――石村さんが躁の状態、うつの状態の時は、それぞれどうなりますか。

僕が躁の時は、傍目には元気でエネルギッシュに見えるようですが、些細なことで「あいつはここがダメだ」と、きつく人を批判してしまうんです。だから、躁状態がコントロールできなかった頃は、周りの人もビックリしていたと思います。

自分はその時「調子がいいぞ」といい気分なので、周囲の人の声が拾えなくなっています。でもその後、ひどい自己嫌悪に陥ります。躁の時に高揚が高いほど反動は大きく、その後辛く長いうつ状態が続くのです。

うつの時には、スーツに着替えたのに家から出る力が出ない、頭はぐるぐるいいわけで回っていて、足は動かない、という状態がよくおこります。

障がい者枠で再雇用が決定。病気をオープンにして、症状コントロール。

近所の公園の緑を抜けて通勤

近所の公園の緑を抜けて通勤

休日のうち1日は意識的に休息。自宅で猫とくつろぐことも。

休日のうち1日は意識的に休息。自宅で猫とくつろぐことも。

――精神障がいを抱えることになった後、お仕事や環境はどう変化しましたか。

発病9年後に最初の会社を退職しました。しかしちょうど障がい者の法定雇用率に精神障がい者が組み入れられるタイミングでした。今度は精神障がい者として再スタートする覚悟を決めた私は、ハローワークをたずね、退職から約1年後、現在の旅行会社に再就職できたのです。

今は障がいをオープンにしているので、休息の時間など、ハローワークが僕の立場から上司と話し合い、配慮してくれます。同僚も、私との協働について話し合ってくれたらしく、今でも年に1回くらいは躁状態が出てしまうのですが、「しかたないよね」と理解してもらえます。

躁を早い段階で止めれば、反動のうつも食い止めることができますから、今は、躁状態が出かかった時に「ちょっとおかしいよ!」と率直に言ってくれる人を大切にしています。
でももっと大切なのは、躁にならないようにコントロールすること。薬の進歩もありますが、意識的に休息をとったり、上司が私に仕事を振りすぎないよう配慮してくれるなど、自分の努力も周囲のサポートもあり、今は以前より全般的に症状が軽くなっているように思います。

男二人、晩ご飯を食べるときに交わされる、父との対話

「父がそっと応援し続けてくれたことが、精神的な支えになりました。」

「父がそっと応援し続けてくれたことが、精神的な支えになりました。」

――精神障がいを抱えながら仕事を続ける中、支えになったのはどんなことですか。

病気との闘いを、父はずっと支えてくれました。特に仕事について、発病してすぐ、父に「サラリーマンは座っているだけでも仕事なんだ」と言われました。当時はよくわかりませんでしたが、現在の会社に入ると上司もそう言うのです。上司は、仕事を調整しながら、私の手が空いていればちゃんと仕事を回してくれます。その状況になってやっと、父の言葉の本当の意味がわかってきたのです。

昔はあまり相談することはなかったんですが、発病後は父といろいろ話すようになりました。母が趣味の旅行に出かけ、自宅で男二人きり、晩ご飯を食べている時、父がぼそっと「最近、先生(かかりつけ医師)はなんて言っている?」と聞いてきます。そんなところから、将来的なお金の設計のことや、最近は彼女との結婚に関することなど、暮らしに関わるさまざまなことを話します。

ともに障がいを抱えるカップルだからこそ、お互いを把握し支え合う

川津桜を見に、婚約者とふたり伊豆旅行へ。

川津桜を見に、婚約者とふたり伊豆旅行へ。

――現在、ご結婚を控えていらっしゃるんですね。

ええ。患者会で知り合った彼女も統合失調症の疾患を持っています。仕事の帰り道に、婚約者が毎日メールをくれます。お互い支え合うために、自分の情報や状態をなるべく彼女に知ってもらうようにしているんです。私が調子が悪くて「今ダメなんだ。ごめん」とデートをキャンセルしたときも「ウン、わかった」と、とても優しく言ってくれました。

私も彼女の調子はできるだけ把握したいと、顔色をうかがっています(笑)例えば、彼女の調子が悪いときは、声が細く弱くなります。気遣い合うことで、自分が支えられていることを強く感じます。

失敗しながら一緒に働いていける社会を

「最近、私の会社にさらに少しいい条件で精神障がい者が入職しました。私が働いた8年、無駄ではなかったかな。」

「最近、私の会社にさらに少しいい条件で精神障がい者が入職しました。私が働いた8年、無駄ではなかったかな。」

――精神障がいを抱えながら再就職ができたのは、素晴らしいですね。

法律改正のタイミングもよく、自分でも思いきって障がい者としてアプローチして、再就職が果たせました。その時、精神障がい者が社会の中で働いていくことを広く認めてもらうために、自分がいるのかな、と思えたんです。

こんなふうに働き続けてこられたのは、自分が失敗から学んでこられたからです。そして、調子の悪いときには父をはじめとする家族や婚約者、周囲の方々がそれを気づかせてくれ、良いときにはさりげなく気遣い見守ってくれて、失敗しても大丈夫な雰囲気にしてくれた周囲の優しさのおかげだと感謝しています。

このようなほどよい距離感で精神障がい者をサポートし、失敗しながらも一緒に働いていける社会になるといいなと思っています。

お父さんへ ありがとう

カードを受け取るお父さん。「息子の結婚が決まって、私もホッとしました。」


インフォメーション

躁うつ病とは?

躁うつ病は双極性障害と呼ばれ、「ハイ」になる躁状態と、気分が沈むうつ状態が出現する病気です。心身に受ける大きなストレスによって発症、再発することも多くあります。躁状態の時は気分が爽快で楽しくて仕方がなく、夜は寝なくても平気で、疲れを知らずに活動します。多弁で早口になり、豊かなアイデアがわき、浪費が始まることも。自分を有能で素晴らしい人間だと感じ、最初のうちは、仕事がむしろはかどります。しかし、さまざまな考えが次々浮かぶため、気が散り集中できなくなります。短期間のうちに悪化し、感情が高ぶって怒りやすくなります。この躁状態のあとには大抵、うつ状態が続き、今度は活動ができない時期がやってきます。
双極性障害の治療で最も大切なのは、再発予防です。再発をくり返すことで社会的な信頼を損ねるなどのハンディを負うことがあります。治療法は少し前までは薬物療法が中心でしたが、認知行動療法などリハビリテーションの方法も進歩し、薬なしで生活できるようになる方もいます。


(撮影)宍戸友美  (撮影協力)三軒茶屋 ミシン

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