ありがとうの物語

鮎川雄一さん

武藤匠子さん プロフィール

東京都八王子市 1968年生まれ
ファッションメーカーの営業マンを経て2013年に転職
現在は介護老人保健施設に勤務する介護福祉士。
『所沢ユニバーサルスポーツ応援団 団長』として障害者スポーツのイベントプロデュースも行う。


季節やその日のコンディションで変化する痒みや炎症

———鮎川さんは、介護老人保健施設で介護福祉士をしながら地元所沢で身体障害を持つ人のスポーツ競技を応援するイベントを運営したりしているのですね。

はい。その他に介護や健康をテーマにしたセミナーやイベントも行っています。

———アトピー性皮膚炎の症状をずっと抱えておられるということですが。

はい。現在は安定していますが、30代の頃はひどかったですね。今でも悪化することがあり、そんな日は顔がムズムズして痒くなるんです。

皮膚の状態は気候や疲れ方などその日のコンディションにより変化します

皮膚の状態は気候や疲れ方などその日のコンディションにより変化します

地元所沢の航空公園ではお気に入りの場所。草原でジャンプ!

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草原でジャンプ!

———慢性的な症状があるわけですね。皮膚科の受診は続けているのですか?

1年に8回ほど通院しています。今は主に保湿ワセリンと、治頭瘡一方(ぢずそういっぽう)という漢方の飲み薬を使っています。最近はそんなにひどくはならないので、ステロイドはどうしても必要な時だけ使う感じですね。

———日頃の生活の中でどんな時に症状が悪化しやすいのでしょうか?

季節でいうと春は花粉症の刺激があり、汗をかく夏もつらいです。冬は乾燥がつらいので、秋だけ一息つける感じですね。介護老人保健施設での仕事は4交代制のシフトですので、夜勤明けで疲れた時などは痒みの兆候が顔にきますね。

———どんな症状になりますか?

まず顔が熱くなる感じがあり、赤く腫れぼったく痒くなります、そして炎症が起きるとちょっと皮膚が硬くなります。その皮がむけてはがれ落ちると元に戻るというサイクルですね。

高校時代のヘルペスから始まった皮膚の炎症との付き合い

———アトピーはいつごろ発症したのでしょうか?

最初は高校3年の時ヘルペスが唇の右側にできたことです。それを寝ている時に自分で潰してしまったのです。朝起きて「顔が腫れぼったいなぁ」と思い鏡を見て仰天。顔中にヘルペスのぶつぶつが広がっていたんです。母に車で皮膚科に連れて行ってもらいました。当時は病院前で車を降り、人に気付かれないように上着をかぶって顔を隠していました。しばらく皮膚科に通い最悪の状態は治ったのですが、それ以来皮膚のトラブルが常態化してしまいました。

———そうでしたか。思春期は特に見た目のことが気になる時期ですね。

他人の視線が気になりましたが、友達には本当に恵まれていました。大学に進学してたまに友達の家に泊めてもらったりすると、借りた枕が顔の引っ搔き傷で血だらけになっちゃう。でも友達は「お前、また血出てるぜ」ってあっけらかんと笑いながら口に出してくれたので一緒に遊ぶ事が出来たんです。今思うと、そういう友達達じゃなかったら誰とも接点もなく家に籠ってたかもしれないですね。本当に友達には感謝してます。

———お仕事についてからはいかがでしたか?

大学を卒業してファッション関係の会社に就職し営業職につきました。27歳で結婚し、仕事は数字に追われストレスも多くとても大変でした。また秋冬物を扱う時は繊維に触れると刺激があり顔が日焼けしたみたいに赤く腫れていました。婦人服の仕事でしたので、実は女性の視線も気になり、皮膚の調子が悪い時は営業で人前に出る事が嫌でストレスでした。

夜中も全身をかきむしらずにはいられないほどの痒みに襲われて

———アトピーは病気としては生死に関わるようなものでもなく、他人にうつることもないわけですが、痒みに加え見た目のことでもストレスが大きいですね。

そうですね。僕も外からみるとあっけらかんとして何も気にしていない風を装っていましたが内心は毎日の皮膚の状態ですごく気持ちが左右されていました。また痒みがひどい時は夜、隣に寝ている妻が、僕が全身をかきむしっているバリバリという音で眠れなかったといいます。妻は、僕がこれ以上掻かないように、ポテトチップスの入っている筒の様な物(笑)を改造して両腕にはめてくれたりしました。当時は布団の中はかきむしった皮だらけだし、お風呂もそんな感じだった。

———当時奥さんはアトピーについては何かおっしゃいましたか?

アトピーに効くという食事の本を読んだり、食生活に工夫をしていてくれたようです。でも皮膚の症状については、彼女は一言も何も言わないでくれた。ありがたかったです。もし彼女に何か言われたらとても傷ついたと思います。「心につき刺さる言葉」って覚えてるじゃないですか、そんな記憶はないので、きっと受け入れてくれてたんですね。一緒に寝ても皮がボロボロ落ちているわけですから、もしかしたら「うっ」て思ったかもしれない。そんな時も黙って掃除してくれていたのだと思います。ありがたいですね。

航空公園にある新鮮な無農薬野菜の料理が美味しいエコトコファーマーズカフェ。お気に入りの場所です

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医師との出会いによって変化したアトピーとのつきあい方

———皮膚科はどのように利用していたのですか?

ステロイドには抵抗がありました。このためひどくなると皮膚科に通いステロイドを塗り、よくなるとやめてまた悪くなるというのを繰り返していました。そして最悪の状態となったのが、30歳の引っ越しの時。ハウスダストの刺激や段ボールを運んでいるうちに全身が痒くて眠れないほどになってしまったのです。そんな時妻が知人に聞いて今の皮膚科を見つけてくれました。

———それまで通っていた皮膚科と何か違ったのですか?

ええ。先生が最悪の状態の僕を診察した後「必ず治るから大丈夫だよ」と力強く言ってくれた。すごくほっとしてこの時「ここで治そう」と思えたんです。

———ステロイドを使ったのですか?

はい。まずかなり強力なステロイド軟膏が何種類か処方され、塗る場所を指示されました。言われたとおりに薬を塗り、自己判断で中止しないようにしたところ、1年足らずで信じられないくらい普通の肌が戻ってきました。症状が落ち着いた時点で、保湿剤のワセリンと漢方の飲み薬が処方されました。

———症状が出た時に対処的にステロイド剤を使うのではなく、痒みが治まっても一定期間ステロイドを使い続け、医師の判断で徐々に減薬していく療法ですね。

はい。先生がいいと言うまで薬を塗りました。そして徐々に弱い薬と保湿剤のワセリンに替えていった。先生の指示を守り18年も同じ皮膚科に通っています。

福祉の世界とのつながりは「あなたアトピーですか?」の一言から

高校生の娘さんのお買い物にもつきあうファッション通の素敵なパパ 

高校生の娘さんのお買い物にもつきあう
ファッション通の素敵なパパ 

———福祉を次の職業に選ぼうと思ったきっかけはなんですか?

きっかけは2011年の東日本大震災です。実は震災の2日まえの3月9日に勤めていた会社が事業廃止になり、突然職を失ったのです。失業と地震はダブルのショックでした。僕は落ち込み、ひきこもり状態になりました。そんな時、被災地で津波に遭い一命を取り留めた得意先の女性が泣きながら「鮎川さん何とか生きています」と電話をくれたのです。その声を聞いて「俺こんなことしてちゃダメだ!家もあるし家族もいるし五体満足だ!」と自分の中で何かが動き始めたのです。震災の衝撃もあり何か社会貢献を!と思い埼玉県の起業家セミナーを受講しました。

———起業家セミナーではどんな経験をしたのですか?

セミナーの講師の1人が「僕がファッションで出来る社会貢献は何か?」と悩んでる時に「ファッションを使い高齢者や障害者の人たちを元気にできるのでは?」とアドバイスをくれました。そしてそのセミナーの懇親会で障害児の『放課後デイサービス』の事業を行ってるオーナーが僕に話しかけてきました。その最初の一言が「あなたアトピーですか?」でした。聞けばその方の娘さんも障害がありアトピーの持病もあるので、僕の顔を見て気になって声をかけてきたそうです。これをきっかけに障害を持つ方々と知り合うようになりました。アルバイトをしながら1年ほど、どうしたらファッションを使い高齢者や障害者の人たちを元気にできるのか障害者施設や老人施設などを見学し福祉の世界のヒアリングを続けました。そして一度福祉の現場で学ぼうと決意しヘルパー2級の資格をとり介護老人施設に勤務を始めたのです。

———奥様は転職についてどんな風におしゃっていたのでしょうか?

内心は色々あったと思いますが新しい仕事に就くまでの間、妻は本当に何も言わず黙って見守ってくれました。ありがたいですね。もし当時彼女から「早く仕事探してよ」とか毎日のように言われてたら、何かを学び直そうなんて考えず今もファッション業界にいたと思います。

皮膚のコンディションによって左右されない快適な日常

———介護とファッション、何か共通点があるのですか?

僕がファッション業界でしてきた仕事は接客業です。ファッションを通じて御客様に気持ちを上げてもらうことを大切にしてきました。介護でも高齢者の方の気持ちをアップし一日を楽しく過ごしてもらいたい。気持ちを上げるためのコミュニケーションという点で介護とファッションには共通する部分があると思います。もちろん人生の終末期に関わるという意味では、重い仕事ですが、でもその一方で介護の仕事の魅力は声掛け一つで利用者さんの対応が明るくなったり笑顔になったり…特に認知症の方など結果がすぐに出ることもあります。

———介護以外の活動もなさっているのですね。

休日を利用し「介護のイメージアップ」と「障害者スポーツ普及」の2つのプロジェクトに関わっています。特に2011年に初めて見た車いすラグビーの魅力に惹かれてユニバーサルスポーツバーなどのイベントを企画しています。ハンディを持つ人と接しているうちにいつの間にか、皮膚のコンディションによってふさぎ込んだりモチベーションが下がったりすることがなくなりました。

本物の飛行機が展示されている所沢航空公園。広大な園内でスポーツイベントも企画する。

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航空公園内の喫茶店をスポーツバ―にして楽しむイベント

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航空公園内のカフェをスポーツバ―にして楽しむイベント

アトピーや障害のこともお互い口に出せる率直なコミュニケーション

———障害のある方と接する時にはどんな態度がいいのでしょうか?

これは賛否両論ありますが、僕は「あなたも障害があって大変でしょうけど、健常者だっていろいろ大変なんだよ」と口に出しちゃいます。だって生きるって本当に大変ですから。また、僕はアトピーで顔が傷だらけで酷いときに他人から「異質な人」と見られる視線を感じて生きてきました。だからこそ大学時代の友人が昔そうしてくれたように「お前アトピーって?」って聞いてもいいと思う。そして「うん。アトピー」ってさらりと口に出す。こだわりをなくして素直になると互いの壁がパッと消えるんですよね。そのことを僕は経験的に知っているので障害がある方とも同様なコミュニケーションを取ります。

2016年10月のサッカー興奮のアジア最終予選 日本×イラク戦を、障害をもつ友人と観戦。

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———辛かった経験が福祉の世界の活動に生きているのですね。いつもアクティブに飛び回っている鮎川さんを支える原動力はなんでしょう。

やっぱりウチの奥さんですね。彼女のおかげで本当に僕は好きなように動けています。失業して落ち込んでいた時も「どこ行っているの?」なんてあまり尋ねなかった。内心は心配だったろうしイライラする事もあったでしょうが、妻がいつも見守ってくれたから新しい自分の境地を開けたんです。仕事を変えて本当によかった。今の自分が好きだし今の僕でいられるのは、うちの奥さんがいて、家庭や子ども達をいっしょに守り大切にしてくれているからです。 心から彼女に感謝しています。

ありがとうの手紙


インフォメーション

アトピー性皮膚炎

アレルギーを起こしやすい体質の人や、皮膚の「バリア機能」が弱い人に多く見られる皮膚の炎症を伴う病気です。主な症状は「湿疹」と「かゆみ」で、良くなったり悪くなったりを繰り返し治りにくいことが特徴です。
アトピー性皮膚炎では、本来皮膚にそなわっている「バリア機能」が弱まっているため、外からの異物が容易に皮膚の中まで入りこみやすい状態になっています。皮膚を引っかいたりこすったりといった物理的な刺激や、汗、石鹸、化粧品、紫外線などに影響を受けます。
またアトピー性皮膚炎の人は皮膚が弱いため、単純ヘルペスウイルスに比較的簡単に感染しやすいです。感染すると顔や身体などの広範囲に水ぶくれが現れ、ただれたような状態になります。特に初感染の場合は、ウイルスに対する免疫がないため重症化する場合があります。
アトピー性皮膚炎の治療法としてはステロイド剤の塗布が一般的です。一般に症状が出たらステロイドをしっかり塗り、良くなったら塗らないという治療法が行われています。この一方で、患者に自覚症状がないときにもステロイドを一定期間塗り続けることで、肌の良好な状態を維持し、医師の症状が治まったという判断のもとで、ステロイドの減量をはじめる治療法も注目されています。
また体質を改善し、アトピーを根本から解決していく治療方法として漢方薬も用いられています。皮膚の赤味、かゆみを押さえる、治頭瘡一方(ぢずそういっぽう)、十味敗毒湯(じゅうみはいどくとう)、消風散(しょうふうさん)などが処方されています。


(撮影)多田裕美子

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