増川ねてるさん プロフィール
1974年生まれ 新潟県小千谷市出身
詩人を目指し上京した大学時代にナルコレプシーと診断される。様々な職を経て広告代理店に勤めるが、処方された薬剤へ依存が酷くなり失業。後に薬物中毒となり、7年間生活保護を受ける。自力で断薬を実行した後、研修のファシリテーターとして社会復帰。福祉施設の職員をしながら、講演活動なども行う。
現在 アドバンスレベルWRAPファシリテーター
地域活動支援センターはるえ野 センター長(東京都江戸川区)
NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ理事
🍀「ちょっと限界、ここで休憩」講師が眠ってしまう!ワークショップ
実家が老舗の和菓子さんなので、
スイーツと言えばあんこが好き
———増川さんは研修の講師として全 国を飛び回っていると聞いています。
健康そうに見えるかと思いますが、僕はナルコレプシー(過眠症)という睡眠障害を抱えています。十分に眠った場合でも、持続的な覚醒は3時間が限界です。15~20分寝さえすればクリアな意識に戻ってくるのですが…
———ではその研修中に講師である増川さんが眠くなってしまうこともあるわけですね。
その時は「休憩です。僕は限界なので寝ますね」といってその辺に横になります。僕が講師をしているのは「WRAP」(ラップ)という、日本では「元気回復行動プラン」と訳されている研修プログラムです。参加者が自分自身と向き合い弱みもオープンにし、“実体験の中から”生きて行く方法を学ぶというコンセプト。だから進行役の僕が寝ちゃう事も、参加者は僕のキャラクターとして受け入れてくれます。「ねてるがねてる」って写メを撮られますよ。
ねてるねてる 東京駅の床で撮影。
(実際に駅で眠くなった時には休めるところを駅員さんに案内してもらっています)
———ねてるさんと言う名前はペンネームですよね。
はい。新聞などにもこの名前で出ています。初対面の人にも名刺を渡すタイミングで病気の説明が出来るようになり、弱点を自分の特性に変えるきっかけとなりました。
🍀医療への不信感と憤りを抱え上京するも、眠気に全て奪われていく日々
———睡眠障害はいつから始まったのでしょうか?
高校時代ですね。例えば本を読んでいて「そういう話か」と思っていると、それは夢なんです。「あっ寝ていたのか」と思いまた読み始めると、それも夢。全然進まないんです。起きていられた授業なんてほとんどなく、大学受験にも失敗。浪人生のころ「おかしい」と思い、病院に行きました。
———受診して何かわかったのですか?
子どもの頃からぜんそくの薬を飲んでいたのですが、直接医師に聞いてみると、「これはてんかんの薬です」と。僕はそれまで自分がてんかんだなんて聞いた事もなく、すごい衝撃でした。僕が子どもの頃高熱を出した時ひきつけ(熱性けいれん)を起こし、それで心配した親が、予防的にてんかんの薬を飲ませていたらしいのです。
親に対して不信感と憤りを感じました。眠いせいで色々うまくいかないのに、飲んでいた薬に関係があるかもしれない!と考え、荒れました。実家は老舗の和菓子屋で跡取りとして大事に育てられたのですが、周囲の目がとても気になっていて、それもプレッシャーで…田舎を離れれば変な症状もなくなると思い、以前から夢だった詩人になるために東京の大学に出てきました。
おきてるねてる
眠気と共存できるようになり、
このパンダの枕といつも一緒に旅します。
———上京してからはいかがでしたか?
やはり眠くてどうにもならず…大学は中退しました。受診した病院でやっと「ナルコレプシー」の診断がつき、リタリンという薬を処方されました。しかし変な夢と眠気は消えない。詩はどうやっても売れないし、仕事もうまくいかず、生活はどんどんすさみ、妻とも離婚…。新潟を出て10年以上経った頃でしたが、今更実家には戻れない。「自分の人生終わった」と思いました。
🍀薬による依存症、抜け出すための壮絶な闘い
それからは、治療と平行して経済基盤をなんとかするため必死でした。障害年金申請のために必死に資料集めをし、交渉をするために起きていたいのでかなりハードに薬を使い、そうすると今度は鬱状態になり抗鬱薬が処方され・・・妄想もあったので統合失調症の薬も出され、多い時で一日20錠も飲んでいました。「なぜ医者はこんな処方をしたんだ?」と思っていた時期もありました。でも、よく考えると「もっと薬をくれ」と言っていたのは自分でした。足りないなら、足さなきゃと…。生活保護を受けながらひきこもりを続けていました。
———現在もその薬を飲んでいるのでしょうか?
2006年頃、薬は完全に止めました。薬を飲まないと体が動かなくなったんです。2年くらいかけて徐々に減薬していきましたが、頭に鉄の棒を入れられて掻き回される感じがしたり、ベランダから飛び出したい衝動がすごくなるので、体を抑える為に針金で自分の体を縛ったりして…幻覚が続き、生活のリズムもめちゃくちゃでした。病院でもうまく減薬はできず、1人自宅で耐えるしかなかったです。
🍀「世界で自分だけの苦しみ」を初めてわかり合えた仲間たち
———どうやってそこから抜け出したのですか?
地域のソーシャルワーカーの交渉で、ヘルパーさんが家に来てくれるようになったんです。定期的に家に来て、温かい食事を作ってくれた。それで、なんだかホッとしたんです。「生活」が帰ってきたというか。
その方に、精神科に通う人たちが日中集まる福祉施設を教えて貰ったんです。最後の望み、みたいな感じで出かけていったその場所で、自分と同じように治療中の人に薬の事を話してみたら「あ、それ分かる」と言ってくれまして。それまで「世界で自分だけの感覚だ、出来事だ」と思っていた症状や薬の副作用、体験してきたことなどを「わかるよ、俺もそういうことあったから」って。
研修で仲間たちの場を和ませるのにも使うシャボン玉。飛ばすと上を向いて笑いたくなる。
———同じ体験を持つ仲間にそこで初めて出会ったわけですね
はい。それまで分かってもらえないための行き違いをなんとかするために使っていたエネルギーを、わかりあえる患者同士が一緒に活動する何かに使えないかなと思い始めました。 その頃に、アメリカの当事者(患者)が開発した「WRAP」の話を、日本で直接聞ける機会を得たのです。“病気を経験した当事者(患者)どうしが、回復のためのコツや工夫をシェアする” それは多くの人が実体験した回復の仕組みを、キーワードを基に系統だって見せてくれるプログラムでした。
研修中に寝てしまう伝説の!ファシリテーターとして全国で活動中
WRAPのファシリテーターという仕事は、薬を飲まなくても、眠くなったら寝て、責任を果たせます。それは症状ではなく「必要なことをしている」とみなされるのです。この仕事ならできるかもと思いました。それからファシリテーターとして経験を重ねて行き、2013年からはファシリテーターを養成する研修を開催するようになりました。WRAPは今年で導入から約10年になりますが、2015年現在500人以上のWRAPファシリテーターが誕生しています。
研修のために新幹線で京都に行き
2日後にはそのまま札幌に向かう
フィージーでもWRAPを開催。
学生ボランティアのメリさんと
🍀ワークショップを通じて再発見した家業の“お菓子のちから”
———ワークショップは大人気ですぐ申込者がいっぱいになるそうですね。
全国各地から申し込みがあるのですが、参加者にはご当地の名物お菓子を持ってきてもらうようにお願いすることがあります。“お菓子の力”って面白いですよ。自己紹介の時にお菓子の話をしてもらうととたんに場の空気が和らぎます。土地の自慢だったり、個人の想い出だったり。そういう普通に生活の中あるものが人を元気づけているんだなと実感します。
看護雑誌でWRAPについて連載中 詩ではなくとも書いた文章が世に出ることは、嬉しい
増川菓子店 お父さんの作ったぶんぶく最中。
「たぬき」のかたちがかわいい。
———菓子職人は継がなかったけれど、違う形でお菓子に関わっていますね。
確かにそうですね。生活の中にあるちょっとしたもの…お菓子の魅力も自分の仕事の中で伝えていけたらいいと思います!そこには、それぞれの物語がありますしね。
いろいろあって僕は両親とずっと疎遠でした。家業を継承せずに途絶えさせてしまったという負い目もありました。そんな僕が、今では研修の前に父に電話をして、「最中送って欲しいんだけれども、いいかな?」なんて言っています。
振り返ってみると薬も、両親は僕を大切にしたくて飲ませていたんだなと思えるようになりました。増川菓子店のあんこは美味しいです!父のあんこを食べると両親は僕を大切に育ててくれたんだな、ありがとうとしみじみします。
インフォメーション:ナルコレプシー
過眠症のひとつ。罹患率は 1万人あたり 3~18人、発病年齢は10歳代で特に中学・高校生に集中している。
ナルコレプシーの主症状は、日に何度も繰り返す居眠りが、ほとんど毎日何年間にもわたって継続すること。通常10分~20分ほど居眠りをすると、目が覚め非常にさっぱりすることが特徴。健康な人なら緊張していて眠る事などないような場面で突然眠ってしまう睡眠発作や、感情が動いた時、面白い時などに突然体が脱力状態になる情動発作を起こす場合もある。
WRAP
WRAPは「Wellness Recovery Action Plan」の頭文字をとったリカバリー(回復)システム。1989年頃にアメリカの精神病の当事者によってなされた調査が元になっている。1997年に共にリカバリーに取り組む人たちの手により、現在の「WRAP」となる。日本では2005年に翻訳作業がはじまり、2007年頃から本格的に展開されるようになる。現在、世界的にメンタルヘルスの領域において、急速に普及してきている。
(撮影)多田裕美子