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  • 膝に水が溜まる?変形性膝関節症

    膝に水が溜まる?変形性膝関節症

     変形性膝関節症とは、膝関節を覆っている軟骨がすり減り、軟骨と軟骨の間にあるクッションの役割をしている半月板が炎症を起こすことで発症する病気です。日本国内に約700万~1,000万人の患者さんがいると言われ、女性が男性の1.5~2.0倍の数を占めています。  初期はあまり症状を感じないこともありますが、進行すると、膝の痛みや階段の昇り降りが困難となり、さらに悪化すると安静にしている時にも痛みがとれないこともあります。また膝関節に炎症が起きていると関節包に水が溜まり、膝が腫れることもあります。  軽度の場合は鎮痛薬を使用したり、膝関節内にヒアルロン酸を注射したりします。また大腿四頭筋強化訓練、関節可動域改善訓練などの運動リハビリテーションや、膝を温めたりする物理療法をします。このような治療でも治らない場合は手術治療も検討します。これには関節鏡(内視鏡)手術、高位脛骨骨切り術(骨を切って変形を矯正する)、人工膝関節置換術などがあります。 社会医療法人駿甲会 コミュニティーホスピタル甲賀病院澤野浩副院長 人工関節置換術について  運動療法や薬物療法、装具療法などで痛みが取れない場合やすでに関節が壊れて動かなくなってしまっている場合は、人工関節に置き換え、運動機能を取り戻す手術をします。人工関節の最大のメリットは「痛みの除去」と「生活の質の向上」です。※痛みの状態については個人差があります。手術に100%ということはなく、合併症を伴う可能性もあります。関節の痛みにお悩みの方は、整形外科・リウマチ科までお気軽にご相談ください。  日本整形外科学会のホームページ(https://www.joa.or.jp/public/publication/pdf/knee_osteoarthritis.pdf)で、変形性膝関節症の予防・治療のための運動療法が紹介されています。 <Point1>膝を支える筋肉を鍛えましょう 1.太ももの前の筋肉を鍛える方法① ①椅子に腰かける②片方の脚を水平に伸ばす③5~10秒そのままでいる(息は止めない)④元に戻す 2.太ももの前の筋肉を鍛える方法② ①脚を伸ばして座る②膝の下に置いたタオルや枕を押す③5~10秒そのままでいる(息は止めない)④力を抜く 3.太ももの外側の筋肉を鍛える方法 ①横向きに寝る②上の脚を伸ばしたまま股を開くようにゆっくり上げる③5秒ほどそのままでいる(息は止めない)④ゆっくり下ろす 4.脚全体の筋肉を鍛える方法 ①肩幅より少し広めに脚を開いて立つ②椅子に腰かけるようにお尻をゆっくりと下ろす③膝は曲がっても90度を超えないようにする④ゆっくりと膝を伸ばす <Point2>膝の動きをよくしましょう 1.膝の曲げ伸ばしをよくする方法① ①脚を伸ばして座り、かかとの下にタオルなどを置く②かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り曲げる③かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り伸ばす 2.膝の曲げ伸ばしをよくする方法② ①湯船の中に脚を伸ばして座る②かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り曲げる③かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り伸ばす 3.膝の裏の硬さをとる方法 ①脚を伸ばして座る②膝に力を入れ、爪先を伸ばして5秒ほどそのままでいる(息は止めない)③膝に力を入れ、爪先を反らせて5秒ほどそのままでいる(息は止めない) ※変形性膝関節症の症状は人によって異なります。運動療法は続けることが大切ですが、詳しい運動の内容や回数はかかりつけの先生とよく相談してください。

  • 浅草雷門から近い『鈴楼』は真っ赤な内装が印象的なバー。愛犬トモと一緒に立ち寄る馴染みのお店

    【第12回】大好きな町で愛犬と共に暮らす。幼なじみの友達と浅草の人情にありがとう

    戸山純子さん プロフィール 1952年 東京都台東区出身 ウェブデザイナー30代まで小劇場の女優として活動。32歳の時、銀座でコーヒー専門店を開店し8年間オーナーとして運営を行う。その後、友人の依頼でカウンターバーの開店を手伝い13年間運営に従事。52歳のころリウマチと診断されるが治療により現在はほぼ寛解状態にある。フリーランスのウェブデザイナーとして企業のサイトの画像処理やシステムづくりを担当する。 🍀介護、仕事で忙しい毎日を突然襲った関節の腫れと痛み 着物を日常着として楽しみたい。季節のタケノコをあしらった帯は江戸っ子らしい粋な着こなし ———戸山さんはお元気そうですが関節リウマチ(以下リウマチ)という持病をお持ちなのですね。  はい。現在は痛みもなく安定した状態ですが、約10年前の52歳の時にリウマチを発症しました。それ以前から関節痛のため整形外科を受診していたのですが…ある朝目覚めたら、手首と足首が腫れて、膝もぷっくりとボールのようで…大変な痛みでした。かかっていた整形外科でリウマチと診断され、リウマトレックスという抗リウマチ薬の飲み薬を処方され約1年間治療しました。 ———リウマチは痛みの他に全身倦怠感がひどいそうですね  はい。関節の痛みの他に熱が出る事もありました。リウマチの薬に加え炎症を抑えるためのステロイドの錠剤と点滴を1週間に一度打っていました。ステロイドを使うと顔がむくみ気分が悪くなるときもありますが、関節の痛みはすぐ引くんです。ただ、その効果は長続きしないので困りました。 ———大変でしたね。当時体調をくずす原因となるようなことはありましたか?  女優時代はかなり不規則な生活でしたね。32歳の時、銀行から3000万円を借金して銀座にコーヒー専門店を開店し8年続けました。業績は好調で借金も返済しましたが、事情がありお店は閉店しました。ほどなく友人が数寄屋橋でカウンターバーを開くというので、その企画から参加し運営を13年間手伝ってきました。仕事は多忙でしたね。その当時私は上野で一人暮らしをしていましたが父が亡くなって実家のある竹の塚(浅草から移り住んだ)に戻り、母と二人の暮らしが始まりました。母は抑うつ状態で、だんだん介護が必要な状態になっていきました。母は依頼心が強く1人では何も決断しないけれど、結構頑固で言い出したら聞かないタイプですから介護は大変でした。 ———リウマチのような免疫系の病気になる方は、それ以前にご本人が意識しなくても何らかのストレスがかかっている場合も少なくないと聞きます。  そうですか。当時、家族関係も大変でしたし、更年期で急に身体が熱くなり汗が噴き出すような症状も体験していました。特に原因は思い当たりませんが 仕事と介護が重なり気付かないうちに身体に負担をかけていたかもしれませんね。手足の関節にいくつもサポーターを付けて仕事に行っていました。 ———その後の経過はいかがでしたか?  私の場合は最初に通院した整形外科でもリウマチと診断され治療していましたが、約1年通っても症状が治まらなかったので、先生が荒川区の東京女子医大東医療センターのリウマチ科を紹介して下さいました。発症から1年後に生物学的製剤を使った本格的なリウマチの治療を始めました。私のように整形外科にかかっていても症状が長引く場合は、リウマチ専門医を早めに受診し、治療法について相談したほうがいいと思います。 🍀登場した新しいリウマチの治療薬に救われて ———そこではどんな治療をしたのでしょうか?  私が今使っているリウマチの薬、生物学的製剤は、当時まだ出たばかりでした。「生物学的製剤というのは遺伝子組み換え技術によってできたもので、リウマチの原因となる炎症蛋白を直接的に抑え込むお薬のことです」と先生に説明されました。1ヶ月4万円以上の治療費がかかると知り大変驚きましたが、治りたい一心で使う決心をしました。最初はレミケードという生物学的製剤を試しました。半日かけて病院で点滴を受けるのですが、これが私の身体に合わなくて、発熱したり口の中に湿疹がでたりして大変でした。熱が上がると点滴できずに「熱が下がるまで待ちましょう」と言われ、朝10時に病院に行って終わるのが夜8時になんてこともありました。体質に合わなかったけれどリウマチ自体はこのお薬で良くなったんです。2ヶ月に1度、6、7回は点滴を続けたと思います。 ———今もそのお薬を続けているのですか?  いいえ。 「 つらくて我慢できない 」 と先生に訴えたところ別の生物学的製剤のヒュミラという薬に変更しますと言われました。こちらは点滴ではなく注射をするタイプです。最初は病院に注射のために通っていたのですが、自分でできるようになったので今では自己注射をしています。 よく立ち寄るホットケーキで有名な喫茶『天国』のオーナーと ———自分で注射するなんて怖くないですか?  お腹に注射するので、もちろん痛いけど、病院で看護師さんが打つのとは違い自分のペースでできるので痛みは少ないですよ。自分なら液をゆっくり入れられますから。2週間に一度木曜日にお風呂上がりに打つと決めているので、入浴前に冷蔵庫からお薬を出し常温にしてから打つとあまり痛くないんです。私はこの自己注射のおかげで楽しく生活できています。ただリウマチの治療はどの薬が効くかも効果もかなり個人差があるようです。 ———その自己注射だけで体調を管理できているのですか?  自己注射に加えて、最初の整形外科で処方されたのと同じ飲み薬のリウマトレックスとステロイド剤のプレドニンも一緒に使っています。一時期、肝機能がだいぶ悪くなったことがあり6錠飲んでいたリウマトレックスを4錠に減らしたら、約3ヶ月くらいで肝臓の値は平常値に戻りました。毎月のお薬代が高いのが悩みですが、それでも早期治療により関節の変形が防げるそうなので、あの時迷わず決断してよかったと思います。おかげで関節の変形はありません。 🍀リウマチの痛みを忘れさせてくれた愛犬トモは人生のパートナー ———当時、リウマチの症状を抱えながらお母様の介護もなさっていたのですね。  はい。母にはヘルパーさんが来てくれていましたが、私も関節が痛くて動けなくなり寝込むこともありました。私は不満や愚痴を言い続ける母と2人でいることに疲れ、パグの赤ちゃん「トモ」を飼うことにしました。当時の私には生活のスパイスみたいなものが必要だったのですね。その母が9年前に亡くなり独り身になった時、トモと一緒に竹の塚から生まれ故郷の浅草に再び戻ってこようと決めたのです。トモは私の大切なパートナーです。当時は体調が悪くトモを散歩に連れ出せない私を心配して姪の娘たちも自宅によく来てくれました。今は中1と高1になりましたが孫のように可愛いです。 チンドン屋さんと遭遇。この町ならではの突然出現する異空間に紛れ込む楽しさ ———今マンションでの一人暮らし、毎日どんな風に過ごしていますか?  朝7時頃に起きて朝ご飯を食べ、まず犬の散歩をします。今は主にウェブデザインの仕事をしています。パソコンは得意で銀座のお店をやっている時に独学で覚えたんですよ。だいたい午前中から4時ころまでパソコンで作業します。フリーランスですから時間の使い方は自由ですが規則正しく生活しています。ほかに依頼があるとレンタル衣装屋さんで着付けのお仕事もしています。一番頑張っているのが週2回ストレッチ体操に通うことです。お料理は得意ですね。なるべく野菜を多めに、タンパク質もとるよう栄養には気を使っています。でも夕方街を散歩していて誰かに誘われれば飲みにいったりすることもありますね。 観光客の方の着付けも楽しい仕事です 観光スポットの中心にある行きつけの銭湯 蛇骨湯 ———今気をつけているのはどんなことでしょうか?  そうですね。冷えると関節が痛みますので身体を冷やさない事ですね。リウマチの症状というよりも、年齢的な問題で身体の衰えが心配です。身体が痛いのかもしれないのですがリウマチの痛みとして強く感じないのは、もしかしたら慣れてしまって元の状態を覚えていないせいかもしれません。トモの朝晩の散歩もトモのためだけでなく自分のために身体を動かしたいという気持ちで続けています。 ———他に健康法で実践している事はありますか?  お風呂に入る事ですね。一番症状がひどかった時は身体が痛くて自宅の湯船に入る事すら大変だったのですが、そんな時でもひたすらお湯につかって身体を温めるとずいぶん楽になりました。今は時々銭湯 『蛇骨湯』にも行きます。 🍀病気になって気づいた弱さや生きづらさを抱えた人の気持ち ———病気をしてから変わった事はありますか?  はい。なんだか人に寛容になりましたね。母も看取りましたしね。私自身は元気で活動的なタイプでしたので、昔は具合が悪いという人がいても、実は内心「大したことないのでは?さぼってるのでは?」という見方をしがちだったのです。このため「心が衰える」ということが実感としてよくわからなかったんです。でも自分がリウマチになって、毎日あちこちが痛く、なかなか治療法も定まらず、いろいろな事が自分の思い通りにならないというのを始めて体験して、弱さを持った人に優しくしようと思うようになりました。 ———感じ方が変化したのですね  そうですね。とはいっても、私は以前も今も1人でいることが苦痛ではないんです。べったり甘えあうような距離が近すぎる関係って苦手です。シンプルで普通の暮らしを淡々と送るのが自分らしいと思っています。今は規則正しい生活で薬もきちんと注射していますし体調に不安はないのですが、やはり地元に浅草の友達や幼なじみのみんながいることは心強く感じますね。 レンタル着物屋さんの社長とカフェバー『鈴楼』のスタッフ。浅草の若いお友達です ———地元の方っていいですね。  ええ、私より若い世代の浅草の友達といっしょに過ごすのも刺激があり楽しいです。それから同級生も多いです。雷門通りの鞄屋さんとか、橋場で大工やっている子、お豆腐屋さんとかね。商売していた人もみんな子どもが独り立ちしてもうのんびりしています。みんなどこか具合悪いとこがあるから病気の話もしますよ。血圧自慢になったりね。銀座のバー時代のお客さんも浅草にくれば声をかけてくれます。私にいろんな事を相談してくる人も多いんですよ。昔の友達に会えば一緒に過ごしてきた昔の時間に戻り、温かい気持ちになれます。「アタシ誰の世話にもならないわって!」なんてこっそり言うんですけど、やっぱり浅草は私の故郷。友達が近くにいることに「ありがとう」と言いたいです。 インフォメーション:関節リウマチ 関節リウマチは自己免疫疾患の一つで、全国に70万〜80万人の患者がいると考えられています。病気の男女比は1対4と女性に多く、高齢者の病気のような印象ですが実は働き盛りの30~50歳代がかかりやすい病気です。免疫の異常により関節の滑膜という組織に炎症が生じます。関節痛に加え、全身倦怠感や疲れやすさが特徴的です。手の指や足の指などの小さい関節の痛みで発症に気付く場合が多いですが膝などの大きな関節が侵されることもあります。全身の関節に進行していく病型の患者さんの場合、指や手首の関節が破壊され、指が短くなったり、関節が脱臼して強く変形することがあります。また背骨の変形などにより脊髄が圧迫され、手足が麻痺したり、呼吸がしにくくなる場合もあります。リウマチの経過にはいくつかのパターンがあると考えられており、病気の発症後短期間で多くの関節の破壊が進む患者さんもいれば、初期だけ症状があり1−2年で自然と寛解にいたる患者さんもいます。最近は生物学的製剤などの治療薬の進歩により、早期に診断して治療を開始できれば、病気の進行を最小限に食い止められるようになってきています。 (撮影)多田裕美子 取材協力:カフェバー『鈴楼』  珈琲ホットケーキ『天国』  レンタル着物『浅草衣匠 弥姫乎』

  • 親子で岡山から新幹線で上京。六本木から霞ヶ関までパレードしました。

    【第8回】普通の人生ではありえなかったつながりをもたらしてくれた宝物。娘が私を選んで生まれてきてくれたことに「ありがとう」

    川井千鶴さん プロフィール 1975年生まれ 岡山県出身聴覚障害をもつ両親の元に生まれる。2004年の風疹大流行時に自身が風疹にかかり、その後長女七海ちゃんを出産。現在11歳になる七海ちゃんは先天性風疹症候群と診断され、難聴、肺動脈狭窄症、てんかん、知的障害などさまざまな障害が重複している。 全国組織 『 風疹をなくそうの会 hand in hand 』 岡山支部代表として活動中。パート従業員。趣味はカラオケなど 🍀知らされなかった「妊娠中に風疹にかかること」の危険性 「知らなかった」ことで誰かに同じ後悔をしてほしくない。 ———川井さんがお子さんの七海ちゃんを出産なさったのは2004年ですね。  はい。28歳で妊娠し29歳の時に七海が生まれました。2004年は風疹が大流行した年でした。 ———七海ちゃんは現在11歳。障害があるということですが…。  聴覚障害のほかに、自閉症、てんかん、肺動脈狭窄症状があり、知能は2歳程度と言われています。 ———風疹というのは子どもだけの病気ではなく大人もかかるんですね。  そうです。妊婦さんが風疹になると、お腹の中の赤ちゃんに影響し、障害が残ることが多いといわれています。妊娠中に母親が風疹にかかりその影響を受けた子どもの状態を先天性風疹症候群(CRS)といいます。 ———風疹の予防法として予防接種があるそうですが、川井さんご自身は、風疹の予防接種をしていたのでしょうか?  私は学校で集団接種で受けているはずの年代と言われていますが、記憶はありませんし、自分で医者にいって接種した覚えはないです。 ———産婦人科では風疹について説明がありましたか?  妊娠して6週目、産婦人科で検査を受けた際に「風疹の抗体がついてないね」と言われています。その後2週間くらいの間に、私は風疹にかかりました。 ———「抗体がない」と言われた時どうしようと思いましたか?  当時はまったく知識がなかったのです。そう言われても何をどうしたらいいのかという説明もありませんでした。 🍀産科医から「ここでは産めない」と言われる衝撃 ———風疹にかかったとわかった時、お腹の赤ちゃんへの影響については説明されましたか?  医師からは「奇形児が生まれる」と中絶を勧められました。「ここでは産めない。産むんだったら、紹介状を書くから」と。 最初は理解ができず、時間がたつにつれて涙がでてきました。実は体調の面で、もう妊娠できないかもしれないと言われていた時にやっとできた赤ちゃんです。それなのに…。母親にも相談しました。私の母は聴覚障害者ですが、「風疹の影響で障害児になるかもしれない」と言われ、母にも出産を反対され号泣しました。さんざん泣いたあとで「この子は自分のところに降りてきた子だから、私がしっかり守ってやろう」と決めたんです。 ———とにかくお子さんを守るのだと言う母の決意ですね。  はい。それで紹介された産婦人科に行くと、産科、小児科の先生が何時間もかけて説明してくれました。それでも私の産みたいという気持ちは変わりませんでした。先生は私たちの表情をみて、「協力する」と言ってくれました。唯一私を救ってくれたのが私の担当になってくださった産科医の女医の先生です。 🍀赤ちゃんに次々と現れた風疹症候群のおそろしい影響 保育器の中の七海ちゃん。1688gで誕生。 七海ちゃん1歳のころ。 ———それで出産に臨まれたのですね。  はい。七海は未熟児だったので保育器に入る必要がありましたが、その時点では小さいと言うだけで、問題がないように思えました。 ———いつごろから、症状が現れたのでしょうか?  保育器の外側をコツコツ叩いても反応がないので「この子は耳が聴こえてないんだな」と感じとりました。でも私の場合は、両親が聴覚障害者で、聾者の環境で育っているので耳のことは違和感なく受け止められたのです。 でもそれだけでは済みませんでした。心臓の検査の結果、肺動脈狭窄という病気があり血管が細いと言われ、さらに5カ月目にてんかんの発作が起きました。 その後も3歳くらいから、知的障害と多動、自閉症、そして小学校に上がる前頃からは睡眠障害が出てきました。細かく言えば他にもいろいろあります。 🍀コミュニケーションと身の回りの自立、どちらに特化した教育を選ぶべきか ———現在の七海ちゃんの状況はいかがですか?  ほとんど一日中見ていないといけない状態で、ひとりには絶対させられません。七海は学校から自宅まで送迎してもらっているので、私は夕方までの仕事を終えるととにかく急いで帰宅します。食事、入浴、そして薬を飲ませなければいけません。 2歳の頃 乳幼児教室で。ブランコが大好き。 ———七海ちゃんの人生を考えて、どのような学校を選ぶか悩まれたそうですね。  岡山にある聾学校は耳の教育が専門なんですが、最近は重複障害も受け入れるという体制にかわってきています。聾学校の隣に知的障害専門の学校もありますが、聴覚に関する教育を優先するのか、身の回りの自立を優先して教育するかで悩みました。その結果、人とのコミュニケーションを第一にと考え聾学校を選びました。 聾学校を選択し手話や指文字などコミュニケーション教育に力を入れることを決心 ———そろそろ思春期に入るころですが難しいことも増えてきますね。  そうですね。実は自傷行為が出ているのです。これは原因がわからなくて。第二次性徴期に入っているので、ホルモンバランスの関係も影響してくるようです。また耳が聞こえないため自分が伝えたいのに伝わらないなど、いろいろなことが重なっていると思います。 🍀妊婦だけではなく、働き盛りの男性にこそ予防接種を受けてほしい ———ご自身の体験から 『 風疹をなくそうの会 hand in hand (HP:http://stopfuushin.jimdo.com/)』 を始められたのは、正しい情報を世間に伝えたいということでしょうか。  そうです。妊娠20週までの女性が風疹に感染した場合、流産につながったり、七海のように胎児にも感染し、眼や心臓、耳などに障害を持つ子どもが生まれる場合があるということをみなさんにきちんと知らせたいです。 ———風疹は妊婦さんに感染すると、赤ちゃんの一生を左右する大病なんですね。  はい。夫がかかって妊娠中の奥さんや職場の女性にうつることも考えられます。例えば今から2年前2013年の流行の中心は成人男性で、女性の約3倍の人がかかったそうです。特に男性は昭和37年~平成元年生まれ、女性は昭和54年度~平成元年度生まれの方が多くかかったそうです。男女問わず予防接種が有効なのです。 ———どうして男女でかかりやすい年代が違うのですか?  風疹の予防接種制度が男女別、年代別で異なっているのが理由のようです。過去に風疹にかかっていれば抗体がありますが、風疹の予防接種については私のように記録や記憶も曖昧な方がほとんどなのが現状です。専門家によると20代から40代の女性にも抗体が低い、もしくは無い女性がいます。 ———妊娠可能性のある年代の女性だけが予防接種を受ければいいのでしょうか?  いいえ。男性も、年齢は問わず社会の人みんなが予防接種を受け、抗体をもって欲しい。そうすれば感染が広がることはなく、流行はなくなるんです。 親子で岡山から新幹線で上京。六本木から霞ヶ関までパレードしました。 ———風疹のことをもっとみんなに知ってもらう為のパレードにも参加しているのですね。  今年も7月2日に東京の六本木から霞ヶ関の厚生労働省までみんなでパレードしました。小児科医の先生もたくさん参加してくれて、厚生労働省で記者会見もしました。 七海は会見中に記者の人や厚生労働省の方などのところに行って1人ずつにハイタッチをして歩きました。彼女なりのコミュニケーションなのだと思います。シーンとした会議中ですから親としてはちょっとヒヤヒヤで恐縮しているのですが、会場の雰囲気が七海の動きによってちょっと和やかになっているのも確かなので…。 ハイタッチで会議室を何週もする七海ちゃん。厚労省にて。 ———さまざまな活動の成果はどうでしょう。  成果は感じられます。少しずつですが、男性でもワクチンを受けにきてくれる人が増えてきたという情報もあります。活動を続けてきてよかったなと思います。 🍀大変なことも多いけれど、たくさんのつながりに囲まれた幸せな毎日 昨年の運動会。母娘で頑張りました 夏の日比谷公園で。風疹の予防接種の大切さを訴えるパレードをおえて。 ———川井さんはお母さんとしてそして社会的な活動でも本当に頑張っていますね。  障害を持つお子さんを育てている人なら私以上に頑張っている人はたくさんいます。これも私の宿命です。そこから逃げようとは思いません。 現在入院中の私の祖母が、以前私に一度だけ「生んで後悔していないの?」と聞いたことがあります。私は「してないよ」と即答しました。私の母は赤ちゃんの時の高熱によって難聴になったそうですが、祖母はいつも泣いて母にゴメンネと言っていたようです。障害のある子どもを育てるという意味で私と祖母は同じ立場にいるのです。でもね、私より七海本人が一番大変なんです。風疹症候群は次に何がおこるか分からないので、いつも覚悟していなければいけません。 ———七海ちゃんの成長を感じるのはどんな場面ですか?  今は指文字と手話とジェスチャーでいろいろ話しています。それからもう少しでトイレの自立ができそうなんです。これはあきらめなくてよかったです。本当に少しずつですが、ちゃんと成長しています。 ———子育てを楽しんでいますね。  はい。とても。大変な事も多いけれど七海は幸せだと思います。 『 風疹をなくそうの会 』 では、みんなが親戚みたいに温かく接してくれます。本当に多くの小児科の先生が応援してくれて皆さんとつながっている。岡山でも行政の方や議員さん、大学の先生、みんなが七海を思ってくれる。普通の人生にはあり得ないような経験だなって思います。 七海がYouTube等を見て「お母さん一緒に踊ろう」と誘ってきたりするとうれしいです。運動神経がいいみたいで音は全く聞こえていないのに…いつも踊っています。いろんな表情をしてくれるし、毎日楽しいですよ。七海は私の宝物です。 インフォメーション:先天性風疹症候群 2012年度に実施された厚生労働省の調査によると、風疹の免疫を持たない人(1~49歳)は618万人(男性476万人、女性142万人)と推計される。このうち成人は475万人。職場などでの風疹の大流行はいつ起きてもおかしくない状況だ。風疹にかかると発熱や発疹、リンパ節の膨張がある。治療法は特にない。予防接種制度がなかったために風疹にかかりやすいのは2015年4月1日時点で36歳以上の男性と53歳以上の女性だ。妊娠20週目までの女性が風疹にかかると胎児が先天性風疹症候群になる可能性がある。風疹の抗体価の低い人は性別・年齢に関わらず予防接種を受ける事が推奨されている。特に海外で風疹が流行している地域に行く場合はワクチンを打って出かけたほうがよい。風疹をなくそうの会 HP http://stopfuushin.jimdo.com (撮影)多田裕美子

  • おばあちゃんと日曜日の公園へ。うまく木登りできるかな?

    【第3回】結婚、子育て、そして患者会の運営。おいしい手料理で支えてくれるお母さんに「ありがとう」

    竹井京子さん プロフィール 1968年 東京都出身大学の英文科を卒業して1990年に旅行会社に就職。入社8年目、激務のストレスが原因で潰瘍性大腸炎を発症。転職して財団法人に再就職し、現在に至る。潰瘍性大腸炎の患者会「ちばIBD」副代表。 🍀子育て、家事、仕事、そして患者会。毎日がフル回転で過ぎて行きます。 平日は保育園、休日は自然の中で子どもと遊びます ———今お子さんが3歳。子育ても大変な時期、忙しそうですね。どんな毎日ですか?  はい!私は10時から16時半まで事務の仕事をしています。起床は6時。朝のうちに朝食とお昼のお弁当の準備。そして夕食の下ごしらえをすませます。9時に息子を保育園に預けて出勤です。夕方は子どもを迎えに行き、19時に帰宅ですね。ご飯を食べ、お風呂に入れて21時半頃までに絵本の読み聞かせをし、子どもを寝かしつけてから、洗濯をしてやっと一日が終わります。休日は患者会活動をしています。患者会がない週末は、子供と公園で遊びます。昼食を食べて一緒にお昼寝をし、家族で近所のスーパーに買い物に出掛けて、夕食です。その後、主人と子供が2人で遊んでいる間に掃除をして、お風呂と就寝…。やることいっぱいの毎日ですね(笑) 🍀旅行関係の超多忙な業務とストレスが原因で発症 ———活動的でお元気そうに見えますが、潰瘍性大腸炎という慢性疾患を抱えていらっしゃる。難病と聞いていますがどんな病気なのでしょうか?  潰瘍性大腸炎の特徴的な症状としては、下血を伴う下痢が起きたり、急に腹痛が起きることで、トイレに駆け込まなければならないことも少なくありません。と言っても私はそんなに重症なほうではなく、手術もしないで済んでいます。潰瘍がひどい場合は大腸を手術で切除しなければならないこともあります。 ———どんなきっかけで病気に気づいたのですか。  1990年に旅行会社に就職し、東京駅の支店でカウンター業務を経験後、内勤で国内や海外旅行の手配に従事しました。毎晩22時半くらいまで勤務をし、真夜中に自宅に帰宅する日々を送るうちに、次第にお腹の調子が悪い日が続くようになりました。最初は症状もなく、便をした後にお尻を拭くと小さな血がついているのをみててっきり「痔だ!」と思っていました。  そんなある日、職場の健康診断で便潜血検査をしました。その後レントゲンの検査があったのですが、最初に受診したお医者さんは、レントゲンに特別な異常はないと判断したようです。しかし、母が親戚などに大腸がんの人もいるため遺伝的なことを心配して、私に別の病院で再診断することを勧めてくれたのです。この時の先生がラッキーなことに潰瘍性大腸炎の専門医でした。この先生は最初の検査の時と同じレントゲン写真を見て「これは大変な状態になってしまっています。潰瘍性大腸炎という病気ですね」と告げられました。それでも比較的早期発見だったほうだと思っています。 ———発症当初はどんな症状があったのでしょうか?  当時はいつも疲労感が抜けず、仕事の忙しさから来る睡眠不足もあって生あくびが頻繁に出ていました。それからおならも我慢できなかったです。父には「年頃の女性が人前で、そんなにおならをするんだ。場所を考えろ」と叱られました。後でそれが病気の症状だと知った父は「かわいそうな事を言ってしまった」と言っていたそうです。  いつも気が張り詰めていて、自宅でお風呂に入っている間も仕事でやり忘れたことを思い出すというように、落ち着くことがありませんでした。お腹の調子がどんどん悪くなり、これ以上、旅行業界で働き続けるのは限界だと感じました。転職を決意し、財団法人である現在の職場の就職試験を受けたのです。 🍀誰かの役に立っているという思いが自分の病を受け入れる事につながった 自分だけはすぐ治してみせるなんて思っていました。 ———働く環境を変えたことでどんな変化がありましたか?  仕事を変えて忙しさからは解放されました。しかしいくら身体に負荷がかからないように大人しく生活していても、ストレスや疲れがあるとすぐに下痢や血便になってトイレに走る…「どうしたら元の生活に戻るのだろう」と当時はそればかり考えていました。風邪などの病気は、一定の期間が過ぎれば、治癒して元通りになるのにと、納得できずにいました。「私だけはこの病気を治して元気になってみせる」とさえ、思っていました。 🍀家族の理解と協力と患者会活動を支えに明るく楽しく前向きに ———患者会がスタートして10年になるそうですね。  はい最初のきっかけは、ネットで同じ病気の人の相談に乗り、症状が楽になった人達から「ありがとう」と言われたことでした。その時期に、ある保健師さんが、潰瘍性大腸炎の患者会を設立しようとしていて、「やってみない?」と声を掛けられたのです。患者会では患者さんやそのご家族から「同じ病気の人と話せる機会があって、安心した」「自分1人じゃないと思えた。同じ悩みを共有したり、相談したりできる場があって、本当によかった」と言われることにやり甲斐を感じています。また忙しい先生方はどうしても短時間診療になってしまいます。そんな時、不安を持った患者さんの疑問などに自分や他の患者さんの経験からお話することもしています。  活動を通して講演会に参加して主治医以外の話を聞いたり同じ病気の人の症状の相談にのっているうちに、私自身に変化がありました。「元通りの身体に治そうとするから精神的にもつらいんだ。難病と言われるからには治らないのだから、病気と付き合う方法を考えよう」と思えるようになったのです。 寝る前はパパと一緒に絵本を読むのが楽しみ ———愛情深いご家族に囲まれて幸せですね。  主人とは、患者会で知り合いました。同じ病気を持ち、彼は私より症状が重い状態を経験しています。このため私が食後にトイレに駆け込む姿を見ては、「今は、あまり状態がよくないようだから、無理をしないで」と声を掛けてくれます。また、彼はお料理が趣味で得意なので、休日の昼食と夕食は、彼が手料理をご馳走してくれるんですよ。 🍀頑張っている先輩を見て出産も子育ても大丈夫だと思た ———出産、子育てはなかなか大変なことですよね。  はい。3年前に妊娠が分かった時、一番喜んで応援してくれたのは母でした。病気を持ちながらの出産は不安なことも多かったですが、同じ病気の先輩方が何人も出産していたので、自分も大丈夫だろうと思えました。また、自分の出産で、他の患者さんへ勇気を与えることができたら素敵だと考え、妊娠中もワクワクしていました。  そして無事出産できて、大変ながらも無理をせず順調に子育てをしていたのですが、子供が2歳になって間もなく、たまっていた疲労から熱を出し、病気が悪化し、下痢と血便が止まらなくなりました。 1日20回以上の便意に襲われ、トイレから離れられず、トイレで寝たいと思う状態でした。  最後は水を飲んでもトイレに駆け込むようになり、とうとう入院しました。このため実家の父母に息子を1週間預けることになりました。母と息子が毎日病院へお見舞いに来てくれて、帰りは泣かずに元気に「バイバイ〜」と帰って行くのですが、夜になると「かあさん。かあさん」と泣きじゃくっていると聞いて、こんな小さな子に負担をかけて申し訳ないと涙が出ました。 🍀頑張りすぎず、無理はせず、でもできることをきちんと おばあちゃんの手料理。孫の優志君の大好物の天ぷらとカツ。 ———今一番大切にしているのはどんなことですか?  仕事と家事&育児と患者会活動の両立ですね。どれも自分にとって欠かせないものなので、頑張りすぎずに、無理な時は無理してやらない・・。できることを1つずつやる、というスタンスで楽しむようにしています。職場の方たちは私の状態などからすでに病気のことは知っていると思いますが、あえて病名などを尋ねられたことはありません。私も自然体で無理をせず、でも仕事はきちんとこなすということで周囲には理解してもらえていると感じています。 ———ご家族がとてもさりげなく日常を支援してくださっているのですね。  同じ病気を持つ主人と結婚することを決めた時、父母は「何かあったら、助けてあげるから、やるだけやってみなさい」と背中を押してくれました。後から話を聞くと、父母も同じように不安だったそうです。両親は今も、主人の身体のことも心配し、私たち家族のために家事や育児を手伝ってくれます。  私が実家に帰ると、自宅に戻る日に必ず、母が大量の料理を作ってもたせてくれるんです。私が仕事と育児で疲れて病気が悪化しないようにとあらゆる面で、サポートしてくれています。仕事と育児と患者会運営を両立できているのは、本当に母のおかげです。感謝しています。  これからも負担を掛けてしまうことが多いと思うけど、長生きをして、太陽のような微笑みで周りを照らし続けてください。 郊外に引っ越したことをきっかけに57歳で自動車免許を取得したというお母さん。公園にはお母さんの運転で。 旅行が大好き。笑顔が素敵なお母さん。 インフォメーション:潰瘍性大腸炎とは? 潰瘍性大腸炎は大腸の粘膜の内側の層にびらんや潰瘍ができる病気です。潰瘍性大腸炎の患者数は133,543人(平成23年度特定疾患医療受給者証交付件数より)人口10万人あたり100人程度といわれていますが、食生活の欧米化とともに増加しています。特徴的な症状としては、下痢が頻回になることや下血、そしてよく起こる腹痛です。潰瘍の病変は直腸から連続的に、そして食道側にまで広がる性質があります。基本的には良性の病気で、ほとんどは適切な内科的治療により普通の生活が送れるようになりますが、中には腸管が広がってしまう中毒性巨大結腸症や腸の壁に孔があく穿孔となる場合など、病気が悪化するケースもあります。 千葉のIBD患者会 ちばIBD http://www.chiba-ibd.com難病情報センター http://www.nanbyou.or.jp/entry/62 (撮影)多田裕美子

  • 膝に水が溜まる?変形性膝関節症

    膝に水が溜まる?変形性膝関節症

     変形性膝関節症とは、膝関節を覆っている軟骨がすり減り、軟骨と軟骨の間にあるクッションの役割をしている半月板が炎症を起こすことで発症する病気です。日本国内に約700万~1,000万人の患者さんがいると言われ、女性が男性の1.5~2.0倍の数を占めています。  初期はあまり症状を感じないこともありますが、進行すると、膝の痛みや階段の昇り降りが困難となり、さらに悪化すると安静にしている時にも痛みがとれないこともあります。また膝関節に炎症が起きていると関節包に水が溜まり、膝が腫れることもあります。  軽度の場合は鎮痛薬を使用したり、膝関節内にヒアルロン酸を注射したりします。また大腿四頭筋強化訓練、関節可動域改善訓練などの運動リハビリテーションや、膝を温めたりする物理療法をします。このような治療でも治らない場合は手術治療も検討します。これには関節鏡(内視鏡)手術、高位脛骨骨切り術(骨を切って変形を矯正する)、人工膝関節置換術などがあります。 社会医療法人駿甲会 コミュニティーホスピタル甲賀病院澤野浩副院長 人工関節置換術について  運動療法や薬物療法、装具療法などで痛みが取れない場合やすでに関節が壊れて動かなくなってしまっている場合は、人工関節に置き換え、運動機能を取り戻す手術をします。人工関節の最大のメリットは「痛みの除去」と「生活の質の向上」です。※痛みの状態については個人差があります。手術に100%ということはなく、合併症を伴う可能性もあります。関節の痛みにお悩みの方は、整形外科・リウマチ科までお気軽にご相談ください。  日本整形外科学会のホームページ(https://www.joa.or.jp/public/publication/pdf/knee_osteoarthritis.pdf)で、変形性膝関節症の予防・治療のための運動療法が紹介されています。 <Point1>膝を支える筋肉を鍛えましょう 1.太ももの前の筋肉を鍛える方法① ①椅子に腰かける②片方の脚を水平に伸ばす③5~10秒そのままでいる(息は止めない)④元に戻す 2.太ももの前の筋肉を鍛える方法② ①脚を伸ばして座る②膝の下に置いたタオルや枕を押す③5~10秒そのままでいる(息は止めない)④力を抜く 3.太ももの外側の筋肉を鍛える方法 ①横向きに寝る②上の脚を伸ばしたまま股を開くようにゆっくり上げる③5秒ほどそのままでいる(息は止めない)④ゆっくり下ろす 4.脚全体の筋肉を鍛える方法 ①肩幅より少し広めに脚を開いて立つ②椅子に腰かけるようにお尻をゆっくりと下ろす③膝は曲がっても90度を超えないようにする④ゆっくりと膝を伸ばす <Point2>膝の動きをよくしましょう 1.膝の曲げ伸ばしをよくする方法① ①脚を伸ばして座り、かかとの下にタオルなどを置く②かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り曲げる③かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り伸ばす 2.膝の曲げ伸ばしをよくする方法② ①湯船の中に脚を伸ばして座る②かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り曲げる③かかとをゆっくり滑らせて、膝をできる限り伸ばす 3.膝の裏の硬さをとる方法 ①脚を伸ばして座る②膝に力を入れ、爪先を伸ばして5秒ほどそのままでいる(息は止めない)③膝に力を入れ、爪先を反らせて5秒ほどそのままでいる(息は止めない) ※変形性膝関節症の症状は人によって異なります。運動療法は続けることが大切ですが、詳しい運動の内容や回数はかかりつけの先生とよく相談してください。

  • 浅草雷門から近い『鈴楼』は真っ赤な内装が印象的なバー。愛犬トモと一緒に立ち寄る馴染みのお店

    【第12回】大好きな町で愛犬と共に暮らす。幼なじみの友達と浅草の人情にありがとう

    戸山純子さん プロフィール 1952年 東京都台東区出身 ウェブデザイナー30代まで小劇場の女優として活動。32歳の時、銀座でコーヒー専門店を開店し8年間オーナーとして運営を行う。その後、友人の依頼でカウンターバーの開店を手伝い13年間運営に従事。52歳のころリウマチと診断されるが治療により現在はほぼ寛解状態にある。フリーランスのウェブデザイナーとして企業のサイトの画像処理やシステムづくりを担当する。 🍀介護、仕事で忙しい毎日を突然襲った関節の腫れと痛み 着物を日常着として楽しみたい。季節のタケノコをあしらった帯は江戸っ子らしい粋な着こなし ———戸山さんはお元気そうですが関節リウマチ(以下リウマチ)という持病をお持ちなのですね。  はい。現在は痛みもなく安定した状態ですが、約10年前の52歳の時にリウマチを発症しました。それ以前から関節痛のため整形外科を受診していたのですが…ある朝目覚めたら、手首と足首が腫れて、膝もぷっくりとボールのようで…大変な痛みでした。かかっていた整形外科でリウマチと診断され、リウマトレックスという抗リウマチ薬の飲み薬を処方され約1年間治療しました。 ———リウマチは痛みの他に全身倦怠感がひどいそうですね  はい。関節の痛みの他に熱が出る事もありました。リウマチの薬に加え炎症を抑えるためのステロイドの錠剤と点滴を1週間に一度打っていました。ステロイドを使うと顔がむくみ気分が悪くなるときもありますが、関節の痛みはすぐ引くんです。ただ、その効果は長続きしないので困りました。 ———大変でしたね。当時体調をくずす原因となるようなことはありましたか?  女優時代はかなり不規則な生活でしたね。32歳の時、銀行から3000万円を借金して銀座にコーヒー専門店を開店し8年続けました。業績は好調で借金も返済しましたが、事情がありお店は閉店しました。ほどなく友人が数寄屋橋でカウンターバーを開くというので、その企画から参加し運営を13年間手伝ってきました。仕事は多忙でしたね。その当時私は上野で一人暮らしをしていましたが父が亡くなって実家のある竹の塚(浅草から移り住んだ)に戻り、母と二人の暮らしが始まりました。母は抑うつ状態で、だんだん介護が必要な状態になっていきました。母は依頼心が強く1人では何も決断しないけれど、結構頑固で言い出したら聞かないタイプですから介護は大変でした。 ———リウマチのような免疫系の病気になる方は、それ以前にご本人が意識しなくても何らかのストレスがかかっている場合も少なくないと聞きます。  そうですか。当時、家族関係も大変でしたし、更年期で急に身体が熱くなり汗が噴き出すような症状も体験していました。特に原因は思い当たりませんが 仕事と介護が重なり気付かないうちに身体に負担をかけていたかもしれませんね。手足の関節にいくつもサポーターを付けて仕事に行っていました。 ———その後の経過はいかがでしたか?  私の場合は最初に通院した整形外科でもリウマチと診断され治療していましたが、約1年通っても症状が治まらなかったので、先生が荒川区の東京女子医大東医療センターのリウマチ科を紹介して下さいました。発症から1年後に生物学的製剤を使った本格的なリウマチの治療を始めました。私のように整形外科にかかっていても症状が長引く場合は、リウマチ専門医を早めに受診し、治療法について相談したほうがいいと思います。 🍀登場した新しいリウマチの治療薬に救われて ———そこではどんな治療をしたのでしょうか?  私が今使っているリウマチの薬、生物学的製剤は、当時まだ出たばかりでした。「生物学的製剤というのは遺伝子組み換え技術によってできたもので、リウマチの原因となる炎症蛋白を直接的に抑え込むお薬のことです」と先生に説明されました。1ヶ月4万円以上の治療費がかかると知り大変驚きましたが、治りたい一心で使う決心をしました。最初はレミケードという生物学的製剤を試しました。半日かけて病院で点滴を受けるのですが、これが私の身体に合わなくて、発熱したり口の中に湿疹がでたりして大変でした。熱が上がると点滴できずに「熱が下がるまで待ちましょう」と言われ、朝10時に病院に行って終わるのが夜8時になんてこともありました。体質に合わなかったけれどリウマチ自体はこのお薬で良くなったんです。2ヶ月に1度、6、7回は点滴を続けたと思います。 ———今もそのお薬を続けているのですか?  いいえ。 「 つらくて我慢できない 」 と先生に訴えたところ別の生物学的製剤のヒュミラという薬に変更しますと言われました。こちらは点滴ではなく注射をするタイプです。最初は病院に注射のために通っていたのですが、自分でできるようになったので今では自己注射をしています。 よく立ち寄るホットケーキで有名な喫茶『天国』のオーナーと ———自分で注射するなんて怖くないですか?  お腹に注射するので、もちろん痛いけど、病院で看護師さんが打つのとは違い自分のペースでできるので痛みは少ないですよ。自分なら液をゆっくり入れられますから。2週間に一度木曜日にお風呂上がりに打つと決めているので、入浴前に冷蔵庫からお薬を出し常温にしてから打つとあまり痛くないんです。私はこの自己注射のおかげで楽しく生活できています。ただリウマチの治療はどの薬が効くかも効果もかなり個人差があるようです。 ———その自己注射だけで体調を管理できているのですか?  自己注射に加えて、最初の整形外科で処方されたのと同じ飲み薬のリウマトレックスとステロイド剤のプレドニンも一緒に使っています。一時期、肝機能がだいぶ悪くなったことがあり6錠飲んでいたリウマトレックスを4錠に減らしたら、約3ヶ月くらいで肝臓の値は平常値に戻りました。毎月のお薬代が高いのが悩みですが、それでも早期治療により関節の変形が防げるそうなので、あの時迷わず決断してよかったと思います。おかげで関節の変形はありません。 🍀リウマチの痛みを忘れさせてくれた愛犬トモは人生のパートナー ———当時、リウマチの症状を抱えながらお母様の介護もなさっていたのですね。  はい。母にはヘルパーさんが来てくれていましたが、私も関節が痛くて動けなくなり寝込むこともありました。私は不満や愚痴を言い続ける母と2人でいることに疲れ、パグの赤ちゃん「トモ」を飼うことにしました。当時の私には生活のスパイスみたいなものが必要だったのですね。その母が9年前に亡くなり独り身になった時、トモと一緒に竹の塚から生まれ故郷の浅草に再び戻ってこようと決めたのです。トモは私の大切なパートナーです。当時は体調が悪くトモを散歩に連れ出せない私を心配して姪の娘たちも自宅によく来てくれました。今は中1と高1になりましたが孫のように可愛いです。 チンドン屋さんと遭遇。この町ならではの突然出現する異空間に紛れ込む楽しさ ———今マンションでの一人暮らし、毎日どんな風に過ごしていますか?  朝7時頃に起きて朝ご飯を食べ、まず犬の散歩をします。今は主にウェブデザインの仕事をしています。パソコンは得意で銀座のお店をやっている時に独学で覚えたんですよ。だいたい午前中から4時ころまでパソコンで作業します。フリーランスですから時間の使い方は自由ですが規則正しく生活しています。ほかに依頼があるとレンタル衣装屋さんで着付けのお仕事もしています。一番頑張っているのが週2回ストレッチ体操に通うことです。お料理は得意ですね。なるべく野菜を多めに、タンパク質もとるよう栄養には気を使っています。でも夕方街を散歩していて誰かに誘われれば飲みにいったりすることもありますね。 観光客の方の着付けも楽しい仕事です 観光スポットの中心にある行きつけの銭湯 蛇骨湯 ———今気をつけているのはどんなことでしょうか?  そうですね。冷えると関節が痛みますので身体を冷やさない事ですね。リウマチの症状というよりも、年齢的な問題で身体の衰えが心配です。身体が痛いのかもしれないのですがリウマチの痛みとして強く感じないのは、もしかしたら慣れてしまって元の状態を覚えていないせいかもしれません。トモの朝晩の散歩もトモのためだけでなく自分のために身体を動かしたいという気持ちで続けています。 ———他に健康法で実践している事はありますか?  お風呂に入る事ですね。一番症状がひどかった時は身体が痛くて自宅の湯船に入る事すら大変だったのですが、そんな時でもひたすらお湯につかって身体を温めるとずいぶん楽になりました。今は時々銭湯 『蛇骨湯』にも行きます。 🍀病気になって気づいた弱さや生きづらさを抱えた人の気持ち ———病気をしてから変わった事はありますか?  はい。なんだか人に寛容になりましたね。母も看取りましたしね。私自身は元気で活動的なタイプでしたので、昔は具合が悪いという人がいても、実は内心「大したことないのでは?さぼってるのでは?」という見方をしがちだったのです。このため「心が衰える」ということが実感としてよくわからなかったんです。でも自分がリウマチになって、毎日あちこちが痛く、なかなか治療法も定まらず、いろいろな事が自分の思い通りにならないというのを始めて体験して、弱さを持った人に優しくしようと思うようになりました。 ———感じ方が変化したのですね  そうですね。とはいっても、私は以前も今も1人でいることが苦痛ではないんです。べったり甘えあうような距離が近すぎる関係って苦手です。シンプルで普通の暮らしを淡々と送るのが自分らしいと思っています。今は規則正しい生活で薬もきちんと注射していますし体調に不安はないのですが、やはり地元に浅草の友達や幼なじみのみんながいることは心強く感じますね。 レンタル着物屋さんの社長とカフェバー『鈴楼』のスタッフ。浅草の若いお友達です ———地元の方っていいですね。  ええ、私より若い世代の浅草の友達といっしょに過ごすのも刺激があり楽しいです。それから同級生も多いです。雷門通りの鞄屋さんとか、橋場で大工やっている子、お豆腐屋さんとかね。商売していた人もみんな子どもが独り立ちしてもうのんびりしています。みんなどこか具合悪いとこがあるから病気の話もしますよ。血圧自慢になったりね。銀座のバー時代のお客さんも浅草にくれば声をかけてくれます。私にいろんな事を相談してくる人も多いんですよ。昔の友達に会えば一緒に過ごしてきた昔の時間に戻り、温かい気持ちになれます。「アタシ誰の世話にもならないわって!」なんてこっそり言うんですけど、やっぱり浅草は私の故郷。友達が近くにいることに「ありがとう」と言いたいです。 インフォメーション:関節リウマチ 関節リウマチは自己免疫疾患の一つで、全国に70万〜80万人の患者がいると考えられています。病気の男女比は1対4と女性に多く、高齢者の病気のような印象ですが実は働き盛りの30~50歳代がかかりやすい病気です。免疫の異常により関節の滑膜という組織に炎症が生じます。関節痛に加え、全身倦怠感や疲れやすさが特徴的です。手の指や足の指などの小さい関節の痛みで発症に気付く場合が多いですが膝などの大きな関節が侵されることもあります。全身の関節に進行していく病型の患者さんの場合、指や手首の関節が破壊され、指が短くなったり、関節が脱臼して強く変形することがあります。また背骨の変形などにより脊髄が圧迫され、手足が麻痺したり、呼吸がしにくくなる場合もあります。リウマチの経過にはいくつかのパターンがあると考えられており、病気の発症後短期間で多くの関節の破壊が進む患者さんもいれば、初期だけ症状があり1−2年で自然と寛解にいたる患者さんもいます。最近は生物学的製剤などの治療薬の進歩により、早期に診断して治療を開始できれば、病気の進行を最小限に食い止められるようになってきています。 (撮影)多田裕美子 取材協力:カフェバー『鈴楼』  珈琲ホットケーキ『天国』  レンタル着物『浅草衣匠 弥姫乎』

  • 親子で岡山から新幹線で上京。六本木から霞ヶ関までパレードしました。

    【第8回】普通の人生ではありえなかったつながりをもたらしてくれた宝物。娘が私を選んで生まれてきてくれたことに「ありがとう」

    川井千鶴さん プロフィール 1975年生まれ 岡山県出身聴覚障害をもつ両親の元に生まれる。2004年の風疹大流行時に自身が風疹にかかり、その後長女七海ちゃんを出産。現在11歳になる七海ちゃんは先天性風疹症候群と診断され、難聴、肺動脈狭窄症、てんかん、知的障害などさまざまな障害が重複している。 全国組織 『 風疹をなくそうの会 hand in hand 』 岡山支部代表として活動中。パート従業員。趣味はカラオケなど 🍀知らされなかった「妊娠中に風疹にかかること」の危険性 「知らなかった」ことで誰かに同じ後悔をしてほしくない。 ———川井さんがお子さんの七海ちゃんを出産なさったのは2004年ですね。  はい。28歳で妊娠し29歳の時に七海が生まれました。2004年は風疹が大流行した年でした。 ———七海ちゃんは現在11歳。障害があるということですが…。  聴覚障害のほかに、自閉症、てんかん、肺動脈狭窄症状があり、知能は2歳程度と言われています。 ———風疹というのは子どもだけの病気ではなく大人もかかるんですね。  そうです。妊婦さんが風疹になると、お腹の中の赤ちゃんに影響し、障害が残ることが多いといわれています。妊娠中に母親が風疹にかかりその影響を受けた子どもの状態を先天性風疹症候群(CRS)といいます。 ———風疹の予防法として予防接種があるそうですが、川井さんご自身は、風疹の予防接種をしていたのでしょうか?  私は学校で集団接種で受けているはずの年代と言われていますが、記憶はありませんし、自分で医者にいって接種した覚えはないです。 ———産婦人科では風疹について説明がありましたか?  妊娠して6週目、産婦人科で検査を受けた際に「風疹の抗体がついてないね」と言われています。その後2週間くらいの間に、私は風疹にかかりました。 ———「抗体がない」と言われた時どうしようと思いましたか?  当時はまったく知識がなかったのです。そう言われても何をどうしたらいいのかという説明もありませんでした。 🍀産科医から「ここでは産めない」と言われる衝撃 ———風疹にかかったとわかった時、お腹の赤ちゃんへの影響については説明されましたか?  医師からは「奇形児が生まれる」と中絶を勧められました。「ここでは産めない。産むんだったら、紹介状を書くから」と。 最初は理解ができず、時間がたつにつれて涙がでてきました。実は体調の面で、もう妊娠できないかもしれないと言われていた時にやっとできた赤ちゃんです。それなのに…。母親にも相談しました。私の母は聴覚障害者ですが、「風疹の影響で障害児になるかもしれない」と言われ、母にも出産を反対され号泣しました。さんざん泣いたあとで「この子は自分のところに降りてきた子だから、私がしっかり守ってやろう」と決めたんです。 ———とにかくお子さんを守るのだと言う母の決意ですね。  はい。それで紹介された産婦人科に行くと、産科、小児科の先生が何時間もかけて説明してくれました。それでも私の産みたいという気持ちは変わりませんでした。先生は私たちの表情をみて、「協力する」と言ってくれました。唯一私を救ってくれたのが私の担当になってくださった産科医の女医の先生です。 🍀赤ちゃんに次々と現れた風疹症候群のおそろしい影響 保育器の中の七海ちゃん。1688gで誕生。 七海ちゃん1歳のころ。 ———それで出産に臨まれたのですね。  はい。七海は未熟児だったので保育器に入る必要がありましたが、その時点では小さいと言うだけで、問題がないように思えました。 ———いつごろから、症状が現れたのでしょうか?  保育器の外側をコツコツ叩いても反応がないので「この子は耳が聴こえてないんだな」と感じとりました。でも私の場合は、両親が聴覚障害者で、聾者の環境で育っているので耳のことは違和感なく受け止められたのです。 でもそれだけでは済みませんでした。心臓の検査の結果、肺動脈狭窄という病気があり血管が細いと言われ、さらに5カ月目にてんかんの発作が起きました。 その後も3歳くらいから、知的障害と多動、自閉症、そして小学校に上がる前頃からは睡眠障害が出てきました。細かく言えば他にもいろいろあります。 🍀コミュニケーションと身の回りの自立、どちらに特化した教育を選ぶべきか ———現在の七海ちゃんの状況はいかがですか?  ほとんど一日中見ていないといけない状態で、ひとりには絶対させられません。七海は学校から自宅まで送迎してもらっているので、私は夕方までの仕事を終えるととにかく急いで帰宅します。食事、入浴、そして薬を飲ませなければいけません。 2歳の頃 乳幼児教室で。ブランコが大好き。 ———七海ちゃんの人生を考えて、どのような学校を選ぶか悩まれたそうですね。  岡山にある聾学校は耳の教育が専門なんですが、最近は重複障害も受け入れるという体制にかわってきています。聾学校の隣に知的障害専門の学校もありますが、聴覚に関する教育を優先するのか、身の回りの自立を優先して教育するかで悩みました。その結果、人とのコミュニケーションを第一にと考え聾学校を選びました。 聾学校を選択し手話や指文字などコミュニケーション教育に力を入れることを決心 ———そろそろ思春期に入るころですが難しいことも増えてきますね。  そうですね。実は自傷行為が出ているのです。これは原因がわからなくて。第二次性徴期に入っているので、ホルモンバランスの関係も影響してくるようです。また耳が聞こえないため自分が伝えたいのに伝わらないなど、いろいろなことが重なっていると思います。 🍀妊婦だけではなく、働き盛りの男性にこそ予防接種を受けてほしい ———ご自身の体験から 『 風疹をなくそうの会 hand in hand (HP:http://stopfuushin.jimdo.com/)』 を始められたのは、正しい情報を世間に伝えたいということでしょうか。  そうです。妊娠20週までの女性が風疹に感染した場合、流産につながったり、七海のように胎児にも感染し、眼や心臓、耳などに障害を持つ子どもが生まれる場合があるということをみなさんにきちんと知らせたいです。 ———風疹は妊婦さんに感染すると、赤ちゃんの一生を左右する大病なんですね。  はい。夫がかかって妊娠中の奥さんや職場の女性にうつることも考えられます。例えば今から2年前2013年の流行の中心は成人男性で、女性の約3倍の人がかかったそうです。特に男性は昭和37年~平成元年生まれ、女性は昭和54年度~平成元年度生まれの方が多くかかったそうです。男女問わず予防接種が有効なのです。 ———どうして男女でかかりやすい年代が違うのですか?  風疹の予防接種制度が男女別、年代別で異なっているのが理由のようです。過去に風疹にかかっていれば抗体がありますが、風疹の予防接種については私のように記録や記憶も曖昧な方がほとんどなのが現状です。専門家によると20代から40代の女性にも抗体が低い、もしくは無い女性がいます。 ———妊娠可能性のある年代の女性だけが予防接種を受ければいいのでしょうか?  いいえ。男性も、年齢は問わず社会の人みんなが予防接種を受け、抗体をもって欲しい。そうすれば感染が広がることはなく、流行はなくなるんです。 親子で岡山から新幹線で上京。六本木から霞ヶ関までパレードしました。 ———風疹のことをもっとみんなに知ってもらう為のパレードにも参加しているのですね。  今年も7月2日に東京の六本木から霞ヶ関の厚生労働省までみんなでパレードしました。小児科医の先生もたくさん参加してくれて、厚生労働省で記者会見もしました。 七海は会見中に記者の人や厚生労働省の方などのところに行って1人ずつにハイタッチをして歩きました。彼女なりのコミュニケーションなのだと思います。シーンとした会議中ですから親としてはちょっとヒヤヒヤで恐縮しているのですが、会場の雰囲気が七海の動きによってちょっと和やかになっているのも確かなので…。 ハイタッチで会議室を何週もする七海ちゃん。厚労省にて。 ———さまざまな活動の成果はどうでしょう。  成果は感じられます。少しずつですが、男性でもワクチンを受けにきてくれる人が増えてきたという情報もあります。活動を続けてきてよかったなと思います。 🍀大変なことも多いけれど、たくさんのつながりに囲まれた幸せな毎日 昨年の運動会。母娘で頑張りました 夏の日比谷公園で。風疹の予防接種の大切さを訴えるパレードをおえて。 ———川井さんはお母さんとしてそして社会的な活動でも本当に頑張っていますね。  障害を持つお子さんを育てている人なら私以上に頑張っている人はたくさんいます。これも私の宿命です。そこから逃げようとは思いません。 現在入院中の私の祖母が、以前私に一度だけ「生んで後悔していないの?」と聞いたことがあります。私は「してないよ」と即答しました。私の母は赤ちゃんの時の高熱によって難聴になったそうですが、祖母はいつも泣いて母にゴメンネと言っていたようです。障害のある子どもを育てるという意味で私と祖母は同じ立場にいるのです。でもね、私より七海本人が一番大変なんです。風疹症候群は次に何がおこるか分からないので、いつも覚悟していなければいけません。 ———七海ちゃんの成長を感じるのはどんな場面ですか?  今は指文字と手話とジェスチャーでいろいろ話しています。それからもう少しでトイレの自立ができそうなんです。これはあきらめなくてよかったです。本当に少しずつですが、ちゃんと成長しています。 ———子育てを楽しんでいますね。  はい。とても。大変な事も多いけれど七海は幸せだと思います。 『 風疹をなくそうの会 』 では、みんなが親戚みたいに温かく接してくれます。本当に多くの小児科の先生が応援してくれて皆さんとつながっている。岡山でも行政の方や議員さん、大学の先生、みんなが七海を思ってくれる。普通の人生にはあり得ないような経験だなって思います。 七海がYouTube等を見て「お母さん一緒に踊ろう」と誘ってきたりするとうれしいです。運動神経がいいみたいで音は全く聞こえていないのに…いつも踊っています。いろんな表情をしてくれるし、毎日楽しいですよ。七海は私の宝物です。 インフォメーション:先天性風疹症候群 2012年度に実施された厚生労働省の調査によると、風疹の免疫を持たない人(1~49歳)は618万人(男性476万人、女性142万人)と推計される。このうち成人は475万人。職場などでの風疹の大流行はいつ起きてもおかしくない状況だ。風疹にかかると発熱や発疹、リンパ節の膨張がある。治療法は特にない。予防接種制度がなかったために風疹にかかりやすいのは2015年4月1日時点で36歳以上の男性と53歳以上の女性だ。妊娠20週目までの女性が風疹にかかると胎児が先天性風疹症候群になる可能性がある。風疹の抗体価の低い人は性別・年齢に関わらず予防接種を受ける事が推奨されている。特に海外で風疹が流行している地域に行く場合はワクチンを打って出かけたほうがよい。風疹をなくそうの会 HP http://stopfuushin.jimdo.com (撮影)多田裕美子

  • おばあちゃんと日曜日の公園へ。うまく木登りできるかな?

    【第3回】結婚、子育て、そして患者会の運営。おいしい手料理で支えてくれるお母さんに「ありがとう」

    竹井京子さん プロフィール 1968年 東京都出身大学の英文科を卒業して1990年に旅行会社に就職。入社8年目、激務のストレスが原因で潰瘍性大腸炎を発症。転職して財団法人に再就職し、現在に至る。潰瘍性大腸炎の患者会「ちばIBD」副代表。 🍀子育て、家事、仕事、そして患者会。毎日がフル回転で過ぎて行きます。 平日は保育園、休日は自然の中で子どもと遊びます ———今お子さんが3歳。子育ても大変な時期、忙しそうですね。どんな毎日ですか?  はい!私は10時から16時半まで事務の仕事をしています。起床は6時。朝のうちに朝食とお昼のお弁当の準備。そして夕食の下ごしらえをすませます。9時に息子を保育園に預けて出勤です。夕方は子どもを迎えに行き、19時に帰宅ですね。ご飯を食べ、お風呂に入れて21時半頃までに絵本の読み聞かせをし、子どもを寝かしつけてから、洗濯をしてやっと一日が終わります。休日は患者会活動をしています。患者会がない週末は、子供と公園で遊びます。昼食を食べて一緒にお昼寝をし、家族で近所のスーパーに買い物に出掛けて、夕食です。その後、主人と子供が2人で遊んでいる間に掃除をして、お風呂と就寝…。やることいっぱいの毎日ですね(笑) 🍀旅行関係の超多忙な業務とストレスが原因で発症 ———活動的でお元気そうに見えますが、潰瘍性大腸炎という慢性疾患を抱えていらっしゃる。難病と聞いていますがどんな病気なのでしょうか?  潰瘍性大腸炎の特徴的な症状としては、下血を伴う下痢が起きたり、急に腹痛が起きることで、トイレに駆け込まなければならないことも少なくありません。と言っても私はそんなに重症なほうではなく、手術もしないで済んでいます。潰瘍がひどい場合は大腸を手術で切除しなければならないこともあります。 ———どんなきっかけで病気に気づいたのですか。  1990年に旅行会社に就職し、東京駅の支店でカウンター業務を経験後、内勤で国内や海外旅行の手配に従事しました。毎晩22時半くらいまで勤務をし、真夜中に自宅に帰宅する日々を送るうちに、次第にお腹の調子が悪い日が続くようになりました。最初は症状もなく、便をした後にお尻を拭くと小さな血がついているのをみててっきり「痔だ!」と思っていました。  そんなある日、職場の健康診断で便潜血検査をしました。その後レントゲンの検査があったのですが、最初に受診したお医者さんは、レントゲンに特別な異常はないと判断したようです。しかし、母が親戚などに大腸がんの人もいるため遺伝的なことを心配して、私に別の病院で再診断することを勧めてくれたのです。この時の先生がラッキーなことに潰瘍性大腸炎の専門医でした。この先生は最初の検査の時と同じレントゲン写真を見て「これは大変な状態になってしまっています。潰瘍性大腸炎という病気ですね」と告げられました。それでも比較的早期発見だったほうだと思っています。 ———発症当初はどんな症状があったのでしょうか?  当時はいつも疲労感が抜けず、仕事の忙しさから来る睡眠不足もあって生あくびが頻繁に出ていました。それからおならも我慢できなかったです。父には「年頃の女性が人前で、そんなにおならをするんだ。場所を考えろ」と叱られました。後でそれが病気の症状だと知った父は「かわいそうな事を言ってしまった」と言っていたそうです。  いつも気が張り詰めていて、自宅でお風呂に入っている間も仕事でやり忘れたことを思い出すというように、落ち着くことがありませんでした。お腹の調子がどんどん悪くなり、これ以上、旅行業界で働き続けるのは限界だと感じました。転職を決意し、財団法人である現在の職場の就職試験を受けたのです。 🍀誰かの役に立っているという思いが自分の病を受け入れる事につながった 自分だけはすぐ治してみせるなんて思っていました。 ———働く環境を変えたことでどんな変化がありましたか?  仕事を変えて忙しさからは解放されました。しかしいくら身体に負荷がかからないように大人しく生活していても、ストレスや疲れがあるとすぐに下痢や血便になってトイレに走る…「どうしたら元の生活に戻るのだろう」と当時はそればかり考えていました。風邪などの病気は、一定の期間が過ぎれば、治癒して元通りになるのにと、納得できずにいました。「私だけはこの病気を治して元気になってみせる」とさえ、思っていました。 🍀家族の理解と協力と患者会活動を支えに明るく楽しく前向きに ———患者会がスタートして10年になるそうですね。  はい最初のきっかけは、ネットで同じ病気の人の相談に乗り、症状が楽になった人達から「ありがとう」と言われたことでした。その時期に、ある保健師さんが、潰瘍性大腸炎の患者会を設立しようとしていて、「やってみない?」と声を掛けられたのです。患者会では患者さんやそのご家族から「同じ病気の人と話せる機会があって、安心した」「自分1人じゃないと思えた。同じ悩みを共有したり、相談したりできる場があって、本当によかった」と言われることにやり甲斐を感じています。また忙しい先生方はどうしても短時間診療になってしまいます。そんな時、不安を持った患者さんの疑問などに自分や他の患者さんの経験からお話することもしています。  活動を通して講演会に参加して主治医以外の話を聞いたり同じ病気の人の症状の相談にのっているうちに、私自身に変化がありました。「元通りの身体に治そうとするから精神的にもつらいんだ。難病と言われるからには治らないのだから、病気と付き合う方法を考えよう」と思えるようになったのです。 寝る前はパパと一緒に絵本を読むのが楽しみ ———愛情深いご家族に囲まれて幸せですね。  主人とは、患者会で知り合いました。同じ病気を持ち、彼は私より症状が重い状態を経験しています。このため私が食後にトイレに駆け込む姿を見ては、「今は、あまり状態がよくないようだから、無理をしないで」と声を掛けてくれます。また、彼はお料理が趣味で得意なので、休日の昼食と夕食は、彼が手料理をご馳走してくれるんですよ。 🍀頑張っている先輩を見て出産も子育ても大丈夫だと思た ———出産、子育てはなかなか大変なことですよね。  はい。3年前に妊娠が分かった時、一番喜んで応援してくれたのは母でした。病気を持ちながらの出産は不安なことも多かったですが、同じ病気の先輩方が何人も出産していたので、自分も大丈夫だろうと思えました。また、自分の出産で、他の患者さんへ勇気を与えることができたら素敵だと考え、妊娠中もワクワクしていました。  そして無事出産できて、大変ながらも無理をせず順調に子育てをしていたのですが、子供が2歳になって間もなく、たまっていた疲労から熱を出し、病気が悪化し、下痢と血便が止まらなくなりました。 1日20回以上の便意に襲われ、トイレから離れられず、トイレで寝たいと思う状態でした。  最後は水を飲んでもトイレに駆け込むようになり、とうとう入院しました。このため実家の父母に息子を1週間預けることになりました。母と息子が毎日病院へお見舞いに来てくれて、帰りは泣かずに元気に「バイバイ〜」と帰って行くのですが、夜になると「かあさん。かあさん」と泣きじゃくっていると聞いて、こんな小さな子に負担をかけて申し訳ないと涙が出ました。 🍀頑張りすぎず、無理はせず、でもできることをきちんと おばあちゃんの手料理。孫の優志君の大好物の天ぷらとカツ。 ———今一番大切にしているのはどんなことですか?  仕事と家事&育児と患者会活動の両立ですね。どれも自分にとって欠かせないものなので、頑張りすぎずに、無理な時は無理してやらない・・。できることを1つずつやる、というスタンスで楽しむようにしています。職場の方たちは私の状態などからすでに病気のことは知っていると思いますが、あえて病名などを尋ねられたことはありません。私も自然体で無理をせず、でも仕事はきちんとこなすということで周囲には理解してもらえていると感じています。 ———ご家族がとてもさりげなく日常を支援してくださっているのですね。  同じ病気を持つ主人と結婚することを決めた時、父母は「何かあったら、助けてあげるから、やるだけやってみなさい」と背中を押してくれました。後から話を聞くと、父母も同じように不安だったそうです。両親は今も、主人の身体のことも心配し、私たち家族のために家事や育児を手伝ってくれます。  私が実家に帰ると、自宅に戻る日に必ず、母が大量の料理を作ってもたせてくれるんです。私が仕事と育児で疲れて病気が悪化しないようにとあらゆる面で、サポートしてくれています。仕事と育児と患者会運営を両立できているのは、本当に母のおかげです。感謝しています。  これからも負担を掛けてしまうことが多いと思うけど、長生きをして、太陽のような微笑みで周りを照らし続けてください。 郊外に引っ越したことをきっかけに57歳で自動車免許を取得したというお母さん。公園にはお母さんの運転で。 旅行が大好き。笑顔が素敵なお母さん。 インフォメーション:潰瘍性大腸炎とは? 潰瘍性大腸炎は大腸の粘膜の内側の層にびらんや潰瘍ができる病気です。潰瘍性大腸炎の患者数は133,543人(平成23年度特定疾患医療受給者証交付件数より)人口10万人あたり100人程度といわれていますが、食生活の欧米化とともに増加しています。特徴的な症状としては、下痢が頻回になることや下血、そしてよく起こる腹痛です。潰瘍の病変は直腸から連続的に、そして食道側にまで広がる性質があります。基本的には良性の病気で、ほとんどは適切な内科的治療により普通の生活が送れるようになりますが、中には腸管が広がってしまう中毒性巨大結腸症や腸の壁に孔があく穿孔となる場合など、病気が悪化するケースもあります。 千葉のIBD患者会 ちばIBD http://www.chiba-ibd.com難病情報センター http://www.nanbyou.or.jp/entry/62 (撮影)多田裕美子