Category

脳梗塞

  • 脳卒中は突然やってくる

    脳卒中は突然やってくる

     筆者が診療に携わる中で、最も怖いと感じてきた疾患が脳卒中です。その理由は、脳卒中は非常に急に発症し、突然、人を寝たきりにしてしまう疾患だからです。  歩いたり、食べたり、話したり、今まで人間として当然のようにできたことが、ある日を境に、できなくなるのが脳卒中です。脳卒中はある日、不意に襲いかかってくる疾患であるため、人は何も準備をすることができず、人生が一変してしまいます。後遺症が残ると、当人だけではなくご家族の生活にも大きな影響を来します。その意味において、筆者は、がんよりも怖い疾患だと感じています。  脳卒中には、いくつか種類がありますが、大きく分けると、脳の血管が詰まる脳梗塞と、脳の血管が破裂し出血する脳卒中に大別されます。どちらも脳の組織がダメージを受けることで、手足が麻痺して歩行ができなくなったり、ろれつが回らなくなったり、あるいはふらついて歩行ができなくなったり、視野が半分かけたりするなどの症状が出ます。 脳梗塞には動脈硬化が原因のアテローム血栓性脳梗塞やラクナ梗塞があります。アテローム血栓性脳梗塞は、比較的大きな脳動脈が閉塞することで起きる脳梗塞で、治療が遅れると日常生活に支障をきたす後遺症を残すことが少なくありません。 一方、ラクナ梗塞は同じ動脈硬化性の脳梗塞ではありますが、比較的軽症で済む場合もあります。動脈硬化が原因の脳梗塞は、高血圧や糖尿病、脂質異常症、喫煙、大量飲酒がリスクとなります。逆に若年時より、これらの危険因子に対処することで、動脈硬化性の脳梗塞に至るリスクを減らせます。動脈硬化は長い年月をかけて進行します。大切なのは健診などで動脈硬化のリスクを指摘されたら、若年時からしっかり対処することです。強くお伝えしたいのは、高齢になって動脈硬化が進んでから対処するのでは遅いということです。 脳梗塞には、動脈硬化が原因でない脳梗塞もあります。それが心原性脳塞栓症と呼ばれるもので、心臓内にできた血液の塊(血栓)が、脳の血管に流れてしまい、脳の動脈をつまらせてしまうのです。心房細動と呼ばれる不整脈を持つ人や、心臓弁膜症、心臓奇形を持つ人はリスクが高くなります。心房細動は高齢になるほど出現しやすくなり、年を重ねるほど心原性脳塞栓症のリスクは高まります。なお、心房細動が確認された場合、脳梗塞のリスクを点数化し、リスクが高いと判断されれば、心臓内で血栓ができるのを防止できる抗凝固薬を使用し、脳梗塞を予防することができます。 今回は脳卒中の中でも脳梗塞を中心についてまとめました。脳卒中に少しでも多くの皆様が興味を持ち適切な予防をして、ご自身そしてご家族が、できる限り脳梗塞になることを回避していただければと願います。医師 加藤 開一郎

  • 元の職場に復帰して経理を担当。会社で仲間と一緒にいることを改めて楽しいと感じる毎日

    【第13回】つらい時も元気な時もいつも笑顔で支えてくれる妻にありがとう

    中島純さん プロフィール 1949年 北海道足寄町生まれ信用金庫勤務の後、映像関係の会社で財務と経理を担当する。2014年7月突然会社で脳梗塞を発症し救急搬送される。半年間の治療とリハビリを経て回復し、会社に復帰。週末には趣味の釣りとゴルフを楽しむ。 🍀夏の暑い日に突然脳梗塞の発作に襲われて 会社で同僚とランチタイム、この日は和食でヘルシーに いくつかの幸運がかさなり早く治療ができました ———中島さんは、お元気そうですね。かなり早くお仕事に復帰することができたということですが、脳梗塞はいつごろどんな状況で起きたのでしょうか?  発症したのは約2年前2014年7月10日です。あの日は会社で昼食から戻り、自分のデスクに座ったのですがその前から少し風邪気味で、デスクでゴホゴホッと咳をしたんです。咳が出たところまでは覚えていますが、そこで意識がなくなりました。僕はいつも職場で冗談を言ったりするほうなので、一瞬会社のみんなは、僕がふざけて倒れたふりをしていると思ったらしいんです。でも何か様子が変だとすぐ気付いたみたいで救急車を呼んでくれたのです。 ———それで救急車はすぐに来たのですね。  はい。ラッキーな事に会社は赤坂にあり、虎ノ門病院のすぐ近くだったので、わずか10分程度で病院に搬送されました。後から聞きましたが、その時救急車に、同僚が同乗してくれました。同時に会社では緊急連絡簿を使って妻に連絡をとってくれていたそうです。 ———社内の連携がよかった感じですね。  はい。10分足らずで入院でき、すぐ医師が脳梗塞と診断したそうです。医師は「脳梗塞の症状の原因となっている血栓を溶かすための薬が有効だが、強い薬なので家族の同意が緊急に必要です」と同僚に話したようです。たまたま、同僚のお母さんが脳梗塞の経験者で治療に関する知識があり「すぐ奥さんが到着しますが、その薬をお願いすることになると思います」と医師にあらかじめ話をしてくれたそうです。ほどなく妻が駆けつけて、妻は気も動転していましたが、すぐ差し出された治療同意書にサインしました。おかげで血栓を溶かすための点滴を早い段階で受けることができました。 ———ところで中島さんはもともと持病などはなかったのでしょうか?  病気になる前はタバコを吸っていましたし、お酒も好きで結構飲んでいました。このため生活習慣病的な要素はなくはなかったと思いますが、特に健康診断で引っかかったり何かの病名がついていると言うことはなかったです。 🍀予兆だったかもしれない前日の熱中症のような症状 ———発症する前後に何か予兆のようなものはありましたか?  特に身体に感じる異変というのはなかったと思います。ただ2年前の夏もとても暑い日が続いていて、当時会社では機材倉庫の物件を探していました。経理部としても下見が必要ということで、倒れる前日に炎天下の猛暑の中、江東区辰巳の倉庫街に行き、そこで道に迷ってしまい長時間外を歩き周りました。その時すでに、熱中症っぽい感じがあったのかもしれません。倒れた当日の朝は、妻の話によると、出掛けにいつになく機嫌が悪かったそうです。 ———熱中症にも気をつけないといけないですね。倒れてから救急車に乗っている時は、意識はあったのですか?  よく覚えていませんが、誰かにずっと名前を呼ばれていた気がします。次に気がついた時には病院のベッドの上でした。すぐMRIを撮ってもらい集中治療室みたいな部屋に入りました。駆けつけた妻の顔を見て「俺倒れたの?」と不思議そうに何回も聞いたそうです。 ———直接の原因は咳こんだことだったのでしょうか?  はい。特に血圧やコレステロールの治療をしていたわけではないですが、やはりタバコも吸っていましたし、実は父や妹も心臓の不整脈があるんですね。だから遺伝的には不整脈になる傾向があったのではと思っています。不整脈があると心臓の中に血の固まりが出来やすいらしいです。それが血管の中ではがれて脳の動脈の方に流れていって、そのせいで、脳の血管がつまってしまうことがあるそうです。私の場合、咳が出た瞬間にその衝撃で血管の中の固まりがはがれ、右側の脳に詰まった様子です。 🍀早期治療のあとに早めに開始したリハビリ訓練 ———かなり治療が早かったので後遺症も少なくてよかったですね。  はい。その血栓を溶かす薬を点滴で入れて翌日には集中治療室みたいな部屋から出て一般病棟へ移ることができました。結局意識が回復してからリハビリをしながら7月29日まで、約2週間ちょっと虎ノ門病院に入院していました。 ———最初はどんなリハビリをしたのでしょうか?  最初は車椅子に乗りかなりぼーっとした感じでした。看護師さんが私にしょっちゅう「お名前を言って下さい」「今どこにいますか」と聞くのです。それから紐を両手でピンっと張って目の前に見せられ、真ん中をつまんでくださいと言われるんですね。簡単なことのはずなのにそれがあんまりできていなかったです。血栓が詰まった場所が右側で、反対の左側に影響がありました。左目が見えていない感じがあり、看護師さんに左の足をつねられてもあまり痛くなかった。妻に後から聞いたのですが両腕を前に上げるように言われ支えてもらっても、左手だけはすぐふにゃーっと下に降りてしまっていた。歩いている時でも、左側の距離感などが掴めないので、すぐ人とぶつかってしまいそうな感じでかなり危なそうに見えていたようです。 🍀深刻に考え過ぎずにありのままを受け容れる 「つい心配になって身の回りのことを手伝ってしまうんです」と妻の悦子さん ———最初は左半身が麻痺するのではないかと不安な状況だったと思いますが。  そうですね。僕は短気なところがあるので少しイライラはしていました。でもその一方で置かれた状況はそのまま受け容れるほうなんですね。いつ退院できるのかは気になったし、「これからどうなるんだろう?」という不安はありました。闘病中にうつっぽくなってしまう人も少なくないそうです。でも僕は、「あーっできないことが多すぎるな、これはあまり真剣に考えてもしょうがない」って感じでした。 ———その後2週間あまりで別のリハビリ病院に転院したわけですね。  20日後の7月29日に墨田区の東京都リハビリテーション病院に転院となりました。ここで最初の3週間ぐらいは車椅子だったんですが、じょじょに車いすから歩行器みたいなものになり、杖になり、なんとか歩けるようになってきました。歩行訓練のほか理学療法などをやりました。周囲の患者さんの中には自主的にリハビリにすごく時間をかけ頑張る人もいましたが、僕は回復が比較的順調だという思いもあり、決められたプログラムに従い後はのんびりテレビを見たりして過ごしていました。その頃から左側の感覚もかなり戻ってきました。早めに処置をしたことがよかったと思いますし、早くから言葉の練習などをしたことも、今思うとよかったのだろうなと思います。 🍀酒席の回数が減って増えた妻と過ごす時間 地元両国国技館前で妻との散歩を楽しみます 両国の安田庭園は日本庭園が美しい静かな散策コース ———結局、後遺症のようなものは残らずにすんだのでしょうか?  大きな後遺症はないですが左足の違和感は今も続いています。このため歩くのは結構疲れます。またそのために自転車のペダルが左足でこげなくなり、自転車はもう乗れない感じですね。自転車であちこちに行くのが好きだったので、これは残念です。また左足は靴が上手く履けないので妻に手伝ってもらっていますし、ズボンのベルト通しなども左側がやりにくいので手伝ってもらうことが多いです。細かく見るといろいろ出来なくなったことがあるのですが、まあそこはあまり深刻に考えないようにしています ———病院を退院なさって何か生活に変化はありましたか?  リハビリテーション病院には約5ヶ月間いました。この間、病院ではタバコが吸えないので必然的に禁煙しました。それまで何回か禁煙パッチを貼ったりしてトライしても出来なかったのですが、あれを機会にタバコは自然にやめる事になりました。以前はお酒も誘われれば朝まで飲むようなことがあったのですが、飲みに行く頻度も減りました。会社の帰りには、仕事をしている妻と駅で待ち合わせをして、食事したり一緒に家に帰ることが増えました。 ———再発予防のためにいろいろ努力していらっしゃるのですね。  うーん。といっても努力のしようもないというか…病院で知り合った方の中には脳梗塞を二度三度と再発している方もおられるんですね。院内の食堂などでご一緒した時に、いろいろなお話を伺ったのですが、具体的に何をしたら再発しないのかはよくわからないんです。私自身はお酒も減らしていますが、運動などももっとしたほうがいいのでしょうが…。左足の調子が悪いので疲れやすく運動もそんなにできないですね。「再発が怖い」という漠然としたイメージだけは持っていますが、運動や減量を継続することはなかなか難しいですね。 🍀仕事も趣味も当たり前に続けられる幸せ ———勤務のほうはどのようにしていますか?  退院後に会社からは「週3日間勤務で復帰」という条件で声をかけてもらいました。このため契約上の勤務は週3日間ですが、あと2日間は自分の希望で出ていますので会社には週5日9時~5時に出社しています。退院した時点で、左足が少し不自由な意外は前と変わっていないんです。病院でも最初は自宅療養をと言われたのですが、実は家にいてもすることがないんですね。僕、家事は苦手でまったくできないし…。妻もフルタイムで働いていますから、家に僕を1人残しているほうが「かえって心配!」というのが妻の本音のようでした。僕も自宅に1人でいるよりは会社にいてみんなと話すのが好きですしね。ただ年齢的にはもう、財務の交渉ごとの現場にいる歳ではないので、仕事はできるだけ若い人に引き継いでいくようにと意識しています。 ———以前と同じようにゴルフや釣りなどの趣味も再開されているそうですね。  はい。地元墨田区両国の町内会の人たちとは親しくしています。それで一緒に楽しく気兼ねなくいろいろな遊びを続けています。ゴルフは病気になる前も上手だったわけではないのですが、病気の後は身体の感覚が変わってボールがクラブによくあたりません。でもいいんです。スコアより皆とわいわい行くのが楽しいんです。 町内会のみんなとワイワイ笑顔でゴルフをするのが楽しい ———病気の体験を振り返ってどんな事を思いますか?  あの経験以来、妻と話し合って、もしどこかでお互いに何かあった時には、すぐ連絡がつくように工夫しています。携帯電話の連絡先には名前の後に(妻)(夫)などを書き入れましたし、自分や家族の連絡先がわかる名刺やメモを財布の中にいつも入れるようにしています。こんな風に備えるのは大切だと思うのです。ただ「この先どうなるのか?」とか、わからないことをあまり考え込んだりはしないようにしているんです。2年前の出来事は幸い倒れた場所が会社で、後遺症も少なかったことは本当によかったと思うのです。そして今、仕事も趣味もほとんど元通りの生活ができているのは、やはり支えてくれた妻のおかげです。退院後は妻との時間を以前より大切にするようになりましたね。会社も復帰の時に快く受け容れてくれたし、大変な経験でしたがいろいろなことが本当にラッキーだったなと思っています。妻には家事や身の回りのことだけでなく気持ちの面でもいつも支えてもらっています。実は「ありがとう」なんて言ったことはないですけど、心の中でいつも感謝しています。 インフォメーション:脳梗塞 脳卒中は脳に血液が流れなくなることにより脳の神経細胞が壊死し、障害が起きる病気全般を示します。「脳梗塞」は「脳出血」、「くも膜下出血」、「一過性脳虚血発作」などとともにこの脳卒中の原因とされる病気の1つで、脳の血管に血栓という固まりが詰まっておこる状態です。脳梗塞が起きた場には、右半身か左半身のいずれかに運動麻痺が起きたり、言葉がうまく話せなくなったり、意識がはっきりしなくなったりします。治療後も後遺症が残ることも多く、日常生活に手助けが必要になることも少なくありません。もし、脳梗塞が疑われる症状が起きたら、直ちに救急車で脳卒中専門の病院を受診しましょう。病院では、脳梗塞が起こってから4~5時間以内に血栓(血のかたまり)を溶かす血栓溶解療法により血管の詰まりの改善を目指します。また早期のリハビリも有効です。再発防止のためには血液をサラサラにするお薬で血栓をできにくくする治療法もあります。 脳梗塞を避けるには、高血圧、糖尿病、脂質異常症などの危険因子をしっかり管理し、禁煙や体重管理、運動など生活習慣の改善が大切です。また日常から充分な水分補給をすることが重要です。水分補給により脱水症状が緩和され、血流もよくなります。 (撮影)多田裕美子

  • 脳卒中は突然やってくる

    脳卒中は突然やってくる

     筆者が診療に携わる中で、最も怖いと感じてきた疾患が脳卒中です。その理由は、脳卒中は非常に急に発症し、突然、人を寝たきりにしてしまう疾患だからです。  歩いたり、食べたり、話したり、今まで人間として当然のようにできたことが、ある日を境に、できなくなるのが脳卒中です。脳卒中はある日、不意に襲いかかってくる疾患であるため、人は何も準備をすることができず、人生が一変してしまいます。後遺症が残ると、当人だけではなくご家族の生活にも大きな影響を来します。その意味において、筆者は、がんよりも怖い疾患だと感じています。  脳卒中には、いくつか種類がありますが、大きく分けると、脳の血管が詰まる脳梗塞と、脳の血管が破裂し出血する脳卒中に大別されます。どちらも脳の組織がダメージを受けることで、手足が麻痺して歩行ができなくなったり、ろれつが回らなくなったり、あるいはふらついて歩行ができなくなったり、視野が半分かけたりするなどの症状が出ます。 脳梗塞には動脈硬化が原因のアテローム血栓性脳梗塞やラクナ梗塞があります。アテローム血栓性脳梗塞は、比較的大きな脳動脈が閉塞することで起きる脳梗塞で、治療が遅れると日常生活に支障をきたす後遺症を残すことが少なくありません。 一方、ラクナ梗塞は同じ動脈硬化性の脳梗塞ではありますが、比較的軽症で済む場合もあります。動脈硬化が原因の脳梗塞は、高血圧や糖尿病、脂質異常症、喫煙、大量飲酒がリスクとなります。逆に若年時より、これらの危険因子に対処することで、動脈硬化性の脳梗塞に至るリスクを減らせます。動脈硬化は長い年月をかけて進行します。大切なのは健診などで動脈硬化のリスクを指摘されたら、若年時からしっかり対処することです。強くお伝えしたいのは、高齢になって動脈硬化が進んでから対処するのでは遅いということです。 脳梗塞には、動脈硬化が原因でない脳梗塞もあります。それが心原性脳塞栓症と呼ばれるもので、心臓内にできた血液の塊(血栓)が、脳の血管に流れてしまい、脳の動脈をつまらせてしまうのです。心房細動と呼ばれる不整脈を持つ人や、心臓弁膜症、心臓奇形を持つ人はリスクが高くなります。心房細動は高齢になるほど出現しやすくなり、年を重ねるほど心原性脳塞栓症のリスクは高まります。なお、心房細動が確認された場合、脳梗塞のリスクを点数化し、リスクが高いと判断されれば、心臓内で血栓ができるのを防止できる抗凝固薬を使用し、脳梗塞を予防することができます。 今回は脳卒中の中でも脳梗塞を中心についてまとめました。脳卒中に少しでも多くの皆様が興味を持ち適切な予防をして、ご自身そしてご家族が、できる限り脳梗塞になることを回避していただければと願います。医師 加藤 開一郎

  • 元の職場に復帰して経理を担当。会社で仲間と一緒にいることを改めて楽しいと感じる毎日

    【第13回】つらい時も元気な時もいつも笑顔で支えてくれる妻にありがとう

    中島純さん プロフィール 1949年 北海道足寄町生まれ信用金庫勤務の後、映像関係の会社で財務と経理を担当する。2014年7月突然会社で脳梗塞を発症し救急搬送される。半年間の治療とリハビリを経て回復し、会社に復帰。週末には趣味の釣りとゴルフを楽しむ。 🍀夏の暑い日に突然脳梗塞の発作に襲われて 会社で同僚とランチタイム、この日は和食でヘルシーに いくつかの幸運がかさなり早く治療ができました ———中島さんは、お元気そうですね。かなり早くお仕事に復帰することができたということですが、脳梗塞はいつごろどんな状況で起きたのでしょうか?  発症したのは約2年前2014年7月10日です。あの日は会社で昼食から戻り、自分のデスクに座ったのですがその前から少し風邪気味で、デスクでゴホゴホッと咳をしたんです。咳が出たところまでは覚えていますが、そこで意識がなくなりました。僕はいつも職場で冗談を言ったりするほうなので、一瞬会社のみんなは、僕がふざけて倒れたふりをしていると思ったらしいんです。でも何か様子が変だとすぐ気付いたみたいで救急車を呼んでくれたのです。 ———それで救急車はすぐに来たのですね。  はい。ラッキーな事に会社は赤坂にあり、虎ノ門病院のすぐ近くだったので、わずか10分程度で病院に搬送されました。後から聞きましたが、その時救急車に、同僚が同乗してくれました。同時に会社では緊急連絡簿を使って妻に連絡をとってくれていたそうです。 ———社内の連携がよかった感じですね。  はい。10分足らずで入院でき、すぐ医師が脳梗塞と診断したそうです。医師は「脳梗塞の症状の原因となっている血栓を溶かすための薬が有効だが、強い薬なので家族の同意が緊急に必要です」と同僚に話したようです。たまたま、同僚のお母さんが脳梗塞の経験者で治療に関する知識があり「すぐ奥さんが到着しますが、その薬をお願いすることになると思います」と医師にあらかじめ話をしてくれたそうです。ほどなく妻が駆けつけて、妻は気も動転していましたが、すぐ差し出された治療同意書にサインしました。おかげで血栓を溶かすための点滴を早い段階で受けることができました。 ———ところで中島さんはもともと持病などはなかったのでしょうか?  病気になる前はタバコを吸っていましたし、お酒も好きで結構飲んでいました。このため生活習慣病的な要素はなくはなかったと思いますが、特に健康診断で引っかかったり何かの病名がついていると言うことはなかったです。 🍀予兆だったかもしれない前日の熱中症のような症状 ———発症する前後に何か予兆のようなものはありましたか?  特に身体に感じる異変というのはなかったと思います。ただ2年前の夏もとても暑い日が続いていて、当時会社では機材倉庫の物件を探していました。経理部としても下見が必要ということで、倒れる前日に炎天下の猛暑の中、江東区辰巳の倉庫街に行き、そこで道に迷ってしまい長時間外を歩き周りました。その時すでに、熱中症っぽい感じがあったのかもしれません。倒れた当日の朝は、妻の話によると、出掛けにいつになく機嫌が悪かったそうです。 ———熱中症にも気をつけないといけないですね。倒れてから救急車に乗っている時は、意識はあったのですか?  よく覚えていませんが、誰かにずっと名前を呼ばれていた気がします。次に気がついた時には病院のベッドの上でした。すぐMRIを撮ってもらい集中治療室みたいな部屋に入りました。駆けつけた妻の顔を見て「俺倒れたの?」と不思議そうに何回も聞いたそうです。 ———直接の原因は咳こんだことだったのでしょうか?  はい。特に血圧やコレステロールの治療をしていたわけではないですが、やはりタバコも吸っていましたし、実は父や妹も心臓の不整脈があるんですね。だから遺伝的には不整脈になる傾向があったのではと思っています。不整脈があると心臓の中に血の固まりが出来やすいらしいです。それが血管の中ではがれて脳の動脈の方に流れていって、そのせいで、脳の血管がつまってしまうことがあるそうです。私の場合、咳が出た瞬間にその衝撃で血管の中の固まりがはがれ、右側の脳に詰まった様子です。 🍀早期治療のあとに早めに開始したリハビリ訓練 ———かなり治療が早かったので後遺症も少なくてよかったですね。  はい。その血栓を溶かす薬を点滴で入れて翌日には集中治療室みたいな部屋から出て一般病棟へ移ることができました。結局意識が回復してからリハビリをしながら7月29日まで、約2週間ちょっと虎ノ門病院に入院していました。 ———最初はどんなリハビリをしたのでしょうか?  最初は車椅子に乗りかなりぼーっとした感じでした。看護師さんが私にしょっちゅう「お名前を言って下さい」「今どこにいますか」と聞くのです。それから紐を両手でピンっと張って目の前に見せられ、真ん中をつまんでくださいと言われるんですね。簡単なことのはずなのにそれがあんまりできていなかったです。血栓が詰まった場所が右側で、反対の左側に影響がありました。左目が見えていない感じがあり、看護師さんに左の足をつねられてもあまり痛くなかった。妻に後から聞いたのですが両腕を前に上げるように言われ支えてもらっても、左手だけはすぐふにゃーっと下に降りてしまっていた。歩いている時でも、左側の距離感などが掴めないので、すぐ人とぶつかってしまいそうな感じでかなり危なそうに見えていたようです。 🍀深刻に考え過ぎずにありのままを受け容れる 「つい心配になって身の回りのことを手伝ってしまうんです」と妻の悦子さん ———最初は左半身が麻痺するのではないかと不安な状況だったと思いますが。  そうですね。僕は短気なところがあるので少しイライラはしていました。でもその一方で置かれた状況はそのまま受け容れるほうなんですね。いつ退院できるのかは気になったし、「これからどうなるんだろう?」という不安はありました。闘病中にうつっぽくなってしまう人も少なくないそうです。でも僕は、「あーっできないことが多すぎるな、これはあまり真剣に考えてもしょうがない」って感じでした。 ———その後2週間あまりで別のリハビリ病院に転院したわけですね。  20日後の7月29日に墨田区の東京都リハビリテーション病院に転院となりました。ここで最初の3週間ぐらいは車椅子だったんですが、じょじょに車いすから歩行器みたいなものになり、杖になり、なんとか歩けるようになってきました。歩行訓練のほか理学療法などをやりました。周囲の患者さんの中には自主的にリハビリにすごく時間をかけ頑張る人もいましたが、僕は回復が比較的順調だという思いもあり、決められたプログラムに従い後はのんびりテレビを見たりして過ごしていました。その頃から左側の感覚もかなり戻ってきました。早めに処置をしたことがよかったと思いますし、早くから言葉の練習などをしたことも、今思うとよかったのだろうなと思います。 🍀酒席の回数が減って増えた妻と過ごす時間 地元両国国技館前で妻との散歩を楽しみます 両国の安田庭園は日本庭園が美しい静かな散策コース ———結局、後遺症のようなものは残らずにすんだのでしょうか?  大きな後遺症はないですが左足の違和感は今も続いています。このため歩くのは結構疲れます。またそのために自転車のペダルが左足でこげなくなり、自転車はもう乗れない感じですね。自転車であちこちに行くのが好きだったので、これは残念です。また左足は靴が上手く履けないので妻に手伝ってもらっていますし、ズボンのベルト通しなども左側がやりにくいので手伝ってもらうことが多いです。細かく見るといろいろ出来なくなったことがあるのですが、まあそこはあまり深刻に考えないようにしています ———病院を退院なさって何か生活に変化はありましたか?  リハビリテーション病院には約5ヶ月間いました。この間、病院ではタバコが吸えないので必然的に禁煙しました。それまで何回か禁煙パッチを貼ったりしてトライしても出来なかったのですが、あれを機会にタバコは自然にやめる事になりました。以前はお酒も誘われれば朝まで飲むようなことがあったのですが、飲みに行く頻度も減りました。会社の帰りには、仕事をしている妻と駅で待ち合わせをして、食事したり一緒に家に帰ることが増えました。 ———再発予防のためにいろいろ努力していらっしゃるのですね。  うーん。といっても努力のしようもないというか…病院で知り合った方の中には脳梗塞を二度三度と再発している方もおられるんですね。院内の食堂などでご一緒した時に、いろいろなお話を伺ったのですが、具体的に何をしたら再発しないのかはよくわからないんです。私自身はお酒も減らしていますが、運動などももっとしたほうがいいのでしょうが…。左足の調子が悪いので疲れやすく運動もそんなにできないですね。「再発が怖い」という漠然としたイメージだけは持っていますが、運動や減量を継続することはなかなか難しいですね。 🍀仕事も趣味も当たり前に続けられる幸せ ———勤務のほうはどのようにしていますか?  退院後に会社からは「週3日間勤務で復帰」という条件で声をかけてもらいました。このため契約上の勤務は週3日間ですが、あと2日間は自分の希望で出ていますので会社には週5日9時~5時に出社しています。退院した時点で、左足が少し不自由な意外は前と変わっていないんです。病院でも最初は自宅療養をと言われたのですが、実は家にいてもすることがないんですね。僕、家事は苦手でまったくできないし…。妻もフルタイムで働いていますから、家に僕を1人残しているほうが「かえって心配!」というのが妻の本音のようでした。僕も自宅に1人でいるよりは会社にいてみんなと話すのが好きですしね。ただ年齢的にはもう、財務の交渉ごとの現場にいる歳ではないので、仕事はできるだけ若い人に引き継いでいくようにと意識しています。 ———以前と同じようにゴルフや釣りなどの趣味も再開されているそうですね。  はい。地元墨田区両国の町内会の人たちとは親しくしています。それで一緒に楽しく気兼ねなくいろいろな遊びを続けています。ゴルフは病気になる前も上手だったわけではないのですが、病気の後は身体の感覚が変わってボールがクラブによくあたりません。でもいいんです。スコアより皆とわいわい行くのが楽しいんです。 町内会のみんなとワイワイ笑顔でゴルフをするのが楽しい ———病気の体験を振り返ってどんな事を思いますか?  あの経験以来、妻と話し合って、もしどこかでお互いに何かあった時には、すぐ連絡がつくように工夫しています。携帯電話の連絡先には名前の後に(妻)(夫)などを書き入れましたし、自分や家族の連絡先がわかる名刺やメモを財布の中にいつも入れるようにしています。こんな風に備えるのは大切だと思うのです。ただ「この先どうなるのか?」とか、わからないことをあまり考え込んだりはしないようにしているんです。2年前の出来事は幸い倒れた場所が会社で、後遺症も少なかったことは本当によかったと思うのです。そして今、仕事も趣味もほとんど元通りの生活ができているのは、やはり支えてくれた妻のおかげです。退院後は妻との時間を以前より大切にするようになりましたね。会社も復帰の時に快く受け容れてくれたし、大変な経験でしたがいろいろなことが本当にラッキーだったなと思っています。妻には家事や身の回りのことだけでなく気持ちの面でもいつも支えてもらっています。実は「ありがとう」なんて言ったことはないですけど、心の中でいつも感謝しています。 インフォメーション:脳梗塞 脳卒中は脳に血液が流れなくなることにより脳の神経細胞が壊死し、障害が起きる病気全般を示します。「脳梗塞」は「脳出血」、「くも膜下出血」、「一過性脳虚血発作」などとともにこの脳卒中の原因とされる病気の1つで、脳の血管に血栓という固まりが詰まっておこる状態です。脳梗塞が起きた場には、右半身か左半身のいずれかに運動麻痺が起きたり、言葉がうまく話せなくなったり、意識がはっきりしなくなったりします。治療後も後遺症が残ることも多く、日常生活に手助けが必要になることも少なくありません。もし、脳梗塞が疑われる症状が起きたら、直ちに救急車で脳卒中専門の病院を受診しましょう。病院では、脳梗塞が起こってから4~5時間以内に血栓(血のかたまり)を溶かす血栓溶解療法により血管の詰まりの改善を目指します。また早期のリハビリも有効です。再発防止のためには血液をサラサラにするお薬で血栓をできにくくする治療法もあります。 脳梗塞を避けるには、高血圧、糖尿病、脂質異常症などの危険因子をしっかり管理し、禁煙や体重管理、運動など生活習慣の改善が大切です。また日常から充分な水分補給をすることが重要です。水分補給により脱水症状が緩和され、血流もよくなります。 (撮影)多田裕美子