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ちゃんと知ろう自分のカラダ
斉藤裕樹さん プロフィール 1966年生まれ 東京都目黒区出身建築専門学校を卒業後、建築関係の会社を経て、1991年に斉藤企画を立ち上げ、建築金物設計や施工に携わる。2011年の東日本大震災をきっかけに食べ物や自然エネルギー、社会問題に関心を持ち、循環型社会のための活動に携わる。 2014年5月に僧帽弁(そうぼうべん)閉鎖不全症と診断され、同年9月に手術。現在、病気療養中。 🍀年齢のせいにしていた「だるさ、疲れやすさ」が大病発覚のきっかけ 建築の現場でずっとアルミなど金属を扱う仕事に携わってきた。 毎朝食卓に採りたての野菜が並ぶ ———心臓の病気で手術をされたそうですが、最初に体の不調に気づいたのは? 2013年頃から体がだるく、疲れやすくなっていました。僕は自営業で、ベランダに手すりやもの干し等、雑金物をつけたりする仕事をしており、体力には自信があったので、まさか心臓に病気があるとは思ってもみませんでした。自分では「歳かな」「運動不足かな」と思っていたくらいで。 2012年までは自治体の定期健診を受けていたのですが、2013年は公私ともに忙しく、気づいたら健診の日にちが過ぎていたのです。1年間、だましだまし仕事をしていましたが、ずっとだるさが続いていたので「一度、検査してもらおう」と近所の病院を受診しました。そのときの診察で「循環器に問題がある」といわれ、順天堂大学医学部附属練馬病院(以下・順天堂医大練馬病院)を紹介されたのです。そこで初めて「心臓の弁がおかしい。2〜3年のうちに手術した方がいい」と診断されました。 ———心臓の弁がおかしいというのはどんな病気なのでしょうか? 病名は僧帽弁(そうぼうべん)閉鎖不全症というものです。心臓は右側に三尖弁、左側に僧帽弁があって、血を送り出す方の弁の僧帽弁がちぎれていたのです。実際に映像を見たのですが、血をギュッと送り込むときに、弁がひらひらと動いてしまう。 心臓がきちんと血を送り出せないので、もっとがんばらなくてはと心臓が倍ぐらいの大きさになっていました。そんな状態だったので、運動をしたわけでもないのに体がだるく、疲れやすかったのです。 原因は不明だと言われました。僕の身内にも心臓に病気を持っている人はいないし、まさに青天の霹靂というほかありませんでしたね。 ———病名がわかったのは、いつ頃ですか? 2014年の5...
斉藤裕樹さん プロフィール 1966年生まれ 東京都目黒区出身建築専門学校を卒業後、建築関係の会社を経て、1991年に斉藤企画を立ち上げ、建築金物設計や施工に携わる。2011年の東日本大震災をきっかけに食べ物や自然エネルギー、社会問題に関心を持ち、循環型社会のための活動に携わる。 2014年5月に僧帽弁(そうぼうべん)閉鎖不全症と診断され、同年9月に手術。現在、病気療養中。 🍀年齢のせいにしていた「だるさ、疲れやすさ」が大病発覚のきっかけ 建築の現場でずっとアルミなど金属を扱う仕事に携わってきた。 毎朝食卓に採りたての野菜が並ぶ ———心臓の病気で手術をされたそうですが、最初に体の不調に気づいたのは? 2013年頃から体がだるく、疲れやすくなっていました。僕は自営業で、ベランダに手すりやもの干し等、雑金物をつけたりする仕事をしており、体力には自信があったので、まさか心臓に病気があるとは思ってもみませんでした。自分では「歳かな」「運動不足かな」と思っていたくらいで。 2012年までは自治体の定期健診を受けていたのですが、2013年は公私ともに忙しく、気づいたら健診の日にちが過ぎていたのです。1年間、だましだまし仕事をしていましたが、ずっとだるさが続いていたので「一度、検査してもらおう」と近所の病院を受診しました。そのときの診察で「循環器に問題がある」といわれ、順天堂大学医学部附属練馬病院(以下・順天堂医大練馬病院)を紹介されたのです。そこで初めて「心臓の弁がおかしい。2〜3年のうちに手術した方がいい」と診断されました。 ———心臓の弁がおかしいというのはどんな病気なのでしょうか? 病名は僧帽弁(そうぼうべん)閉鎖不全症というものです。心臓は右側に三尖弁、左側に僧帽弁があって、血を送り出す方の弁の僧帽弁がちぎれていたのです。実際に映像を見たのですが、血をギュッと送り込むときに、弁がひらひらと動いてしまう。 心臓がきちんと血を送り出せないので、もっとがんばらなくてはと心臓が倍ぐらいの大きさになっていました。そんな状態だったので、運動をしたわけでもないのに体がだるく、疲れやすかったのです。 原因は不明だと言われました。僕の身内にも心臓に病気を持っている人はいないし、まさに青天の霹靂というほかありませんでしたね。 ———病名がわかったのは、いつ頃ですか? 2014年の5...