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ちゃんと知ろう自分のカラダ
武藤匠子さん プロフィール 1958年生まれ 埼玉県草加市出身32歳の時、糖尿病を発症する。48歳のある日突然、糖尿病網膜症となり一日にして視力を失う。7年間のひきこもり生活を経て復帰。現在は視覚障害者の患者会『虹の会』に所属。卓球、ヨガ、フォークダンス、オカリナなどを楽しむ活動的な毎日を送る。 今は安全を考えて必ずガイドヘルパーさんと外出。見えない事を示すためにも白杖は大切な道具です。 ———武藤さんは、糖尿病網膜症で眼が不自由だということですが全く見えないのでしょうか? はい。眼はあいているので見えていると勘違いされることもあるのですが、中心部が全く見えない中心暗点という状態です。周囲は暗いですがわずかに見えます。色は今着ているピンクのような明るい色が少し認識できる程度です。 ———網膜症の原因である糖尿病を発症した経緯をお話しいただけますか? 私が初めて糖尿病と診断されたのは32歳の時です。当時の私は14歳、13歳の娘と7歳の息子の3人の子どもを育てながら働く主婦でした。近所に両親もいて子育ては手伝ってもらい、スーパーで働いたり、車での配達など活動的に過ごしていました。実は父が糖尿病でした。疲れがひどいなと思った時、もしかしたら私も?という思いがあり受診したのです。その結果、やはり糖尿病だと診断されてしまいました。でもその時は「軽いので生活習慣に気をつけて薬を飲めば大丈夫ですよ」と言われました。実際生活習慣を変えたところすぐに体重も減り、血糖値も安定しました。このように最初に簡単にコントロールできたために、かえって糖尿病を軽く考えてしまった部分があります。その後も薬は適当に飲むという感じでした。子どもたちの受験もあり多忙な時期でしたから、自分の身体のことなんてかまいもせず、働き続けていたのです。 ———糖尿病の合併症である眼の問題が起きたのはいつ頃のころですか? 子どもたちも学校を卒業し、「これで一息かな」と思った48歳の時でした。もともと私は近眼でしたが視力が下がった感じがあり「新しい眼鏡を作らなければ」と主人と話していました。その頃夕方になると身体のむくみもありました。 🍀糖尿病網膜症の「まだ大丈夫」は「もう遅い」です。必ず眼の検診を! ———では糖尿病の影響で視力がゆっくりと低下していったわけですね? それが失明は突然のことなのです。その日いつも...
武藤匠子さん プロフィール 1958年生まれ 埼玉県草加市出身32歳の時、糖尿病を発症する。48歳のある日突然、糖尿病網膜症となり一日にして視力を失う。7年間のひきこもり生活を経て復帰。現在は視覚障害者の患者会『虹の会』に所属。卓球、ヨガ、フォークダンス、オカリナなどを楽しむ活動的な毎日を送る。 今は安全を考えて必ずガイドヘルパーさんと外出。見えない事を示すためにも白杖は大切な道具です。 ———武藤さんは、糖尿病網膜症で眼が不自由だということですが全く見えないのでしょうか? はい。眼はあいているので見えていると勘違いされることもあるのですが、中心部が全く見えない中心暗点という状態です。周囲は暗いですがわずかに見えます。色は今着ているピンクのような明るい色が少し認識できる程度です。 ———網膜症の原因である糖尿病を発症した経緯をお話しいただけますか? 私が初めて糖尿病と診断されたのは32歳の時です。当時の私は14歳、13歳の娘と7歳の息子の3人の子どもを育てながら働く主婦でした。近所に両親もいて子育ては手伝ってもらい、スーパーで働いたり、車での配達など活動的に過ごしていました。実は父が糖尿病でした。疲れがひどいなと思った時、もしかしたら私も?という思いがあり受診したのです。その結果、やはり糖尿病だと診断されてしまいました。でもその時は「軽いので生活習慣に気をつけて薬を飲めば大丈夫ですよ」と言われました。実際生活習慣を変えたところすぐに体重も減り、血糖値も安定しました。このように最初に簡単にコントロールできたために、かえって糖尿病を軽く考えてしまった部分があります。その後も薬は適当に飲むという感じでした。子どもたちの受験もあり多忙な時期でしたから、自分の身体のことなんてかまいもせず、働き続けていたのです。 ———糖尿病の合併症である眼の問題が起きたのはいつ頃のころですか? 子どもたちも学校を卒業し、「これで一息かな」と思った48歳の時でした。もともと私は近眼でしたが視力が下がった感じがあり「新しい眼鏡を作らなければ」と主人と話していました。その頃夕方になると身体のむくみもありました。 🍀糖尿病網膜症の「まだ大丈夫」は「もう遅い」です。必ず眼の検診を! ———では糖尿病の影響で視力がゆっくりと低下していったわけですね? それが失明は突然のことなのです。その日いつも...