電車通勤をしていると時々、「異常な音を検知したため運転を・・・」というアナウンスがあり、その後に電車が止まってしまう事態に遭遇します。列車やレールの異常を発見する上で、「音」は1つの情報として重視されていることが分かります。同じように医療でも「音」は、人体の中の異常を検知する手法として日常の診療に利用されてきました。
しかし、体の中で発せられる音は微弱であり、周りの空気を振動させられるほどのエネルギーはありません。このため、周りの人には聞こえてこない音を第三者の耳で確認できるようにするためには、外部の音を遮断し、目的とする音だけを集めて、聴く者の鼓膜を振動させる必要がありました。それをかなえたのが聴診器です。
聴診器で人体から聞き取れる音の代表的なものに「心音」「呼吸音」「肺音」「腸蠕動音」「血管雑音」などがあり、医師は目的に応じて聴診器をあてる場所を変えます。その中でも聴診器の使用頻度が多い胸の聴診では「心臓」と「呼吸器」の2種類の臓器の音をチェックしています。今回は胸の聴診の中でも前者の心臓の音にフォーカスして深掘りをしたいと思います。
臨床現場や症例報告で使用される診察記録の表現に「心音整、心雑音なし、過剰心音なし」というような表現があります。ここに出てくる「心音」は文字通り、心臓の音を指します。「心音整」は心音が規則正しいことを意味しています。また「心音不整」という表現もあり、こちらは心臓の音が規則正しくないことを意味します。
この表現から分かるように、聴診ではまず、心臓の音のリズムが規則正しいか、そうでないかを知ることができます。心臓の音が規則正しくないことは、心臓が規則正しく動いていないことを意味しますので、不整脈の存在が疑われます。もちろん、不整脈の有無の確認には、心電図検査が必要ですが、心電図の検査がすぐに出来ない場面でも、聴診で心音が不規則であれば、不整脈の存在を疑うことができます。
心臓の聴診において、心雑音もとても重要な聴診の所見です。心雑音は心臓弁膜症や先天的な心臓奇形を疑うきっかけになることがあります。また、心臓の雑音が聴取されたとき、胸のどこで最も強く雑音が聞こえるかどうかも重要で、心雑音の最強点から、その心雑音の原因となっている疾患をある程度類推することが可能です。
また、心雑音は心臓が収縮するタイミングに聞こえる収縮期雑音と、心臓が拡張して血液を心臓内に流入させるときに聞こえる拡張期雑音に大別されます。心雑音が聞こえるタイミングを把握することも、心臓の疾患を類推する上でとても重要です。
最後に「過剰心音」について説明します。「過剰心音」とは、本来正常な心臓では聴取されないはずの音の総称です。代表的なものにⅢ音、Ⅳ音や心膜ノック音や心膜摩擦音、クリック音などがあります。
心臓はもともと正常状態でも聴診すれば、音が聞こえる臓器です。心臓が正常な状態で生理的に聞こえる心音は「正常心音」とも言われ、「ドックン、ドックン」と例えられる心臓の拍動音が、これに相当します。実際の聴診では「ドックン」よりは「ドッドン」と聞こえます。最初の「ド」に相当するのがⅠ音で房室弁の閉じる音、2番目の「ドン」に相当するのがⅡ音で大動脈弁の閉まる音に由来するとされます。人が建物内で部屋のドアを勢いよく閉めたとき「ドン」と音がしますが、これと似ています。
聴診という診察手技は、簡便にいつでもどこでも実施することが可能で、かつ患者さんの体を傷つけないメリットがあります。一方、聴診器の所見は標準化しにくい弱点があります。つまり、医師個人の主観が入ってしまう可能性がるのです。その原因として筆者が考えるのは2つの課題です。それは「聴診器の性能のばらつき」と「聴診する医師のスキル」です。
聴診器は基本的に医療機関で支給されることはなく、個々の医師が自費で購入します。どれくらいの性能の聴診器を購入するかは、各医師の判断にゆだねられています。筆者の経験上、聴診器はグレードによって、驚くほど聞こえてくる音が全く違います。しかし、いい聴診器をもっていても、それを使いこなす医師のスキルが必要です。
つまり、異常音を異常と認識できるか否かは、医師の聴診スキルにかかっています。医師が聴診できるようになるには、まず正常な音と異常な音を判別し、さらに異常音から類推される疾患や病態を想起できる必要があります。筆者も聴診スキルを高めるために、心音が収録されたCDを何度も聞いて学習した経験があります。
しかし、医師も人間ですから、個人差はあるかもしれませんが、加齢とともに聴力が低下する可能性は高くなります。このため、聴診能力は個々の医師の個人差が大きいと予想されます。
心臓超音波検査の登場により、心臓をリアルタイムで映像と音で検査できるようになりました。しかも心臓超音波は定量的に調べることが可能です。このため厳密に診断を下していく観点では、聴診器は心臓超音波検査には全く力が及びません。しかし、心臓超音波検査を使いこなすにはまた別のスキルが必要で、多くの診療科の医師がそのスキルを身に着けるのは現実的ではないでしょう。また、同検査機器の小型化が進んでいますが、未だに高額な検査機器であり、聴診器のように気軽に持ち歩くことは難しいでしょう。
外来で全患者さんに聴診器のように心臓超音波をあてることは、まだかなっていないのが現状です。その意味で、患者さんの異常を音で察知できて、診察室でも訪問診療でも場所を問わず、ひょいと首にかけて持ち歩ける聴診器は、私たち医師にとっては、仕事をする上で欠かせない相棒なのです。
医師 加藤開一郎